2016年4月2日(八段語録2736)
自己成長と創造

 人の生命は限られています。私の体力も充実して、我が子も母のお腹の中で成長しています。ここで冒険せずして、どうするのだという気持ちで、大阪に旅立ちました。春先でしたので、心地の良い雰囲気の中で、どうせ一生生きても、百年に満たない生命しか持っていないと事でしょうから、完全投入という気持ちでした。もちろん、東京で築いた基盤は、全て引き渡すという、覚悟の良さという事です。まさに戦国武将でしょうか。その覚悟がなければ大阪には行けないという事です。大阪に着いたその時に、有名な焼き肉店である「鶴一」に出かけました。戦後の雰囲気の店で、天井煤だらけ、びっくりしましたが、分厚い焼き肉を食い千切りながら、大阪を、どのように料理しようかと考えていました。もちろん骨を埋める覚悟という事です。
 拠点を置いたのが、天王寺区でした。関西本部の道場は、難波の宗右衛門町、ちょうど道頓堀近くでした。ビルの地下一階でした。最初は通っていました。あまりにもネオン街という事で、雰囲気がソドム・ゴモラという事でしょうか。修行するような場所ではないと思って、なるべく関西本部での、稽古は避けるようにしました。全日本クラスの指導者が来るという事で構えられていましたが、そんな事、お構いなく稽古をしていました。それでも私との組手は嫌っているようでした。別に、もう道場生としての修行を重点においてはいませんでしたので、大阪府立体育館の柔道場、並びに第二運動場を借りて、一週間に一度稽古を始めました。次第に人が増えて、一挙に三百名近くに膨れ上がったのです。それは、公認を受けていませんから、月謝も取らず、ボランティアとして、指導していたからという事でしょう。そこから一緒に事業をやれる人もチョイスすることもできました。そのように人を集める能力を高めることができたのも、極真空手を指導することができるという力があったからという事だと思っているのです。 
 ところで、一緒に空手をしたメンバーの中から、事業を立ち上げ、すぐに活動を開始したのです。普通は、慎重に事を進めるのですが、催事場を押さえ、丸昌から着物を仕入れて、営業ペースを作っていったという事です。年が明けると、妻のお腹も最大限大きくなり、二月の末に長男誕生という事になりました。順調に来ていたのですが、出産は一緒に加勢したのですが、四十三時間もかかっても子宮が開かないという事で、結局帝王切開になりました。妻の陣痛の苦しみを目の当たりにして、私も後日急性胃潰瘍になってしまったのです。それにしても、世間は落ち着いていても、私達夫婦は激動の人生を送ってきたのです。この時からブログをはじめていれば、生の表現が出来たのかもしれませんが、今となっては現状に満足するしかないという事です。
 完全投入して感じたのですが、振り返ってみれば、人生は短いものです。今思うと瞬間です。人生は一場面の夢のような気がします。生きているという事は、人生何度もあるものではないと思うのです。完全燃焼していました。一度ぷっつりなくなる日は、もう終了という事です。今やるとしても、どんどん流れてしまうという覚悟でこの時期を過ごした思いでした。誰から見ても、仁王様のように燃えている存在という事でした。