2016年4月1日(八段語録2735)
自己成長と創造

 東京時代は、よく、九十九里に海水浴に出かけました。観光バスを借りて、社員全員で焼きハマグリを食したり、海岸でビーチバレーをしたりしたのです。日本の中心都市で生活しているという事で、気持ちも大きくなっていました。仕事も順調に推移して、大きなデパートの催事場で物品販売という事も手掛けていったのでした。極真修行は、現役ではなく、指導者として、どのようにしたらいいのかという模索が続いたのでした。個人としての修行を終了したのでしたが、指導者としての修行がゼロから出発という事でした。そうすると、私は、道場生の為に、社員の為にという事の意識が強くなってきたのです。私は、妻の為、会社の為、道場生為に何か貢献しなければという気持ちが強くなっていた時でした。時にすでに三十六歳になっていたのです。個人が優先された時からの跳躍でしょうか。全体の為に生きるという環境を作ろうとするのです。心も、環境も、そのような気持ちが強くなってきているのでした。
 このように、公的な立場に置かれつつ、生きるという、恵まれた人生を過ごすという事になったのです。この時に抱いた気持ちは、世界の総本部に在籍し、東京都庁を眺めながら、尊貴であるべく生き方に転換しなければならないという事を思ったのです。もがき苦しんだ修行時代と違って、人を指導するという観点からの生き方ですから、人を傷つけまいとする気配りや、決して不倫や浮気はしてはいけないという戒めを心に留めたのでした。そして、指導者になる、沸々と豊かに暮らしたいと思うようになってくるし、もう少し大きく、もう少し広く、もう少し高く、もう少し無限に贅沢したいという気持ちになるのでした。私がこのような豊かさに、溺れてしまってはいけないのではないかという、気持ちが生まれてきたものです。確かにエンジョイしていたのですが、それ以上に冒険しなければならないのではないかという気持ちも芽生えてきたのです。
 そのような中で、私が選択して、妻に話した道は、大阪に開拓に行くという決断でした。恵まれた環境を打破して、新たな開拓の道に出かけたのでした。理想的に生きたいという願いよりも、実際の恵まれた環境に胡坐をかくようになっていったという事です。ここでは、まだ熟練されていないし、生涯的理念というものが出来ていないという事でした。開拓をして自分で作り上げていかなければ、指導者になる事は出来ないという気持ちになっていたのです。身重な妻でしたが、快く受け入れてくれて、上方での訓練を望んだという事でした。いつも思う事ですが、生活の為に生きるという観点は無いのです。あくまでも、納得する人生を生きようとする気持ちが強いという事です。
 東京での四年の生活に区切りをつけて、新しい地、大阪での基盤を作ろうという私の観点に、妻も同意して、出発したことを今でも思い出されるのです。人生をどのように生きるべきかという発想の中に、妻も、会社も、多くの人々も愛情で、包み込める人生を過ごしたいという思いが強かったのでした。こうして大阪に行くという決断をしたからには、愛情をさらに磨きをかけるという意識が強かったように思うのです。お金や自分の欲ではなく、大きな指導者を目指そうとする心が強かったのでした。