2012年2月26日(八段語録1604)

自分発見の旅に


 日曜日、部屋の中を熊さんのようにうろうろと動き回っているのです。リビングと居間の間を行ったり来たりするのが、仕事のようになっています。何を考えたか、生きているという事に感動している自分がありました。というのも、人間の細胞は六ヶ月で新陳代謝していくのです。そうすると、自分を支えていた細胞は、半年で死滅してしまう事になるのです。そして、新しく新鮮な細胞の上に自分がいるわけなのです。そのようなメカニズムで、自分の生命が成り立っているという事を考えると、不思議というか、感動してしまって仕方がありません。
 確かに動物・植物の生命の最小単位は、細胞という事になるのですが、細胞はタンパク質の塊なのでしょう。人間がそのタンパク質を作り出したという科学的実験結果も聞いたりしているのですが、そこに人間が生命を吹き込むことが出来るかというと、それはまだ不可能の領域だという事なのです。そのように考えると、被造物としてある人間を創造した存在を意識せざるを得なくなるのも当たり前であると思うようにもなります。
 そのような意味では、自分に対して、絶えず新鮮に扱う事も重要な事になると思うのです。細胞の新陳代謝が半年であるということは、半年前の自分とは、まるっきり違った自分がいるという事が、生理学的に観察する事も出来るのです。その事を意識するならば、新しい心で、今のこの時を過ごすことに重要な意義を感じてしまうのです。そのような意識をしていますから、何でも、新しい気持ちで、勇気をもって取り組むべきであるという事が、正当化されるような気がするのです。
 ところで、このような心を備えなければ、中高年という年齢は消極的になってしまうと思うのです。ましてや極真会館の責任者という事に胡坐をかくわけにはいかないのです。この生理学的な事実に則って、勇気を持って、何事にも取り組むとするならば、あらゆる特質が備わってくると思ってしまうのです。ある意味で、熊さんみたいに、部屋をうろうろしながら、自分を追い詰めようとしているのです。「世間」という、訳のわけのわからない、暴れん坊に振り回されることなく、度胸を持って推し進めようと思うのです。
 今回の冒険は、自分研究がテーマなのです。相当極真空手で鍛えてきました。その鍛えてきたことが何であったのかの、研究をするのです。これは、自分にとって恐ろしく、手が出ない事のように思っています。このテーマに向けて、最低三年間の研究を始めるつもりなのです。このことを欠かさずやり続けて、成功の実績を創るつもりでいるのです。何の話か分からないと思うのですが、いずれ具体的な生きざまになると思うのです。これが、私の人生に対する曖昧さの克服であり、ある意味での、恐怖心の克服につながると思っているのです。もっとも迅速で、しかも確実な方法であると自負しているのです。