2016年3月30日(八段語録2733)
自己成長と創造

 三十五歳、一年半ほど、三鷹で所帯を持っていたいのですが、資金も潤沢になったという事でしょうか?東京都庁が直ぐ近くに見える新宿区初台に移り住むようになりました。四LÐKの広いマンション、クインズハイムという所に転居しました。夫婦ともども、苦労を前提に一緒になったという事もあって、決して購入したわけではないのですが、夢のような高級マンションを借りたのでした。夫婦生活も誰に憚ることなく、新たな生命の誕生に向けて、十分対応できる環境が整ったという事でした。一人で生活していた独身時代と違って、相手がある事ですから、相手をどれ程大切にすることができるかという事が、生活のポイントになってきました。朝にマンションを出発するとき、相手の愛情を感じて、その愛情を糧にして、一日を闘うのです。朝別れた時よりも、あらゆる経験と体験をして、より充実した刺激を持って、帰宅して相手に出会うのです。そして、いろいろな話をしながら、よりレベルの高い愛情の世界を、目指した日にしようとしたのです。そのルーティンを繰り返したのでした。そうした時に、息子聖義の受胎を相手より知らされたのでした。
 その時に感じたことは、愛情は形に表れて、宝石のような我が子を授かるという事という奇跡を伴ったのです。この新宿区初台、日本の中心地より、指導者を目指したのです。組織の運営の指導者であり、極真空手を多くの人に広めようとする指導者になったのです。その時に、極真会館総本部の認可は受けていませんでしたが、道場生は二百人近くに膨れ上がっていました。会社に出勤する前に目をつけて、朝の六時半から七時半まで、集会所を借りて毎日稽古をしました。極真空手に関しては、月謝を全く取らなかったので、口コミで人が集まってきました。それでも内容は、実戦さながらの本格的に指導をしていました。どこにいようと、どんな仕事をしていても、空手の事は片時も離れないという所までに、既になっていったのです。もうすでにライフスタイルという事です。ボランティアで指導をしていたので、総本部で指導していた内容を反復して、自分の指導方法を確立した時でした。その時、指導をして感じたのですが、自分から出発して指導しているのではなく、あくまでも極真の伝統から指導しているという実感なのです。
 つまり、私が指導しているという事は、極真の伝統を継承しているという、確固たる信念が湧いていたのです。私の指導という以前に、極真空手の伝統という意識が強くなったという事です。それ故に、第一の原因的存在ではなく、総裁から指導を受けた結果的第二の存在というっ事であるという意識になっていたのです。このような根本まで突き詰めて、発想していましたので、決して極真会館から離れるという意識は無かったのです。あくまでも極真の伝統に帰属する、意識が強かったという事です。この頃から、極真会館を離れて、独自に流派を立ち上げる先輩が数多くタケノコのように出ていました。私は、本来の極真空手の出発点を決して失う事をすることが無いように心がけたのでした。二百名の道場生が集まると、自ずと自分が偉く思うのです。それをどれだけ謙虚に、受け止めることができるかという事が、最大の闘いという事になっていました。一度、指導者として、出発した者が、間違えれば、一生是正することができないであろうという気持ちで、指導をしていたのでした。