2016年3月29日(八段語録2732)
自己成長と創造

 三十四歳、結婚をした私は、選手というよりは、指導者を目指そうという意識が強くなったのです。もちろん極真空手だけでなく、社会一般に関して、経営者である、指導者を目指そうという事です。いつの間にか、夫婦というポジションになりました。最初に住居を構えたのが、築30年以上経つ長屋の一室にしました。ミカン箱の食卓で、せんべい布団という質素な生活から始めたのです。それでも全日本に出場したというプライドは高かったのです。そんな意識が高いものですから、夫婦二人で仲睦ましくというよりは、何か目的に向かっていく夫婦というほうが正しいのです。この頃、心は自然の道理に符号するようでした。今まで培ってきた内容を後輩に伝えるという気持ちが強くなっていました。それは磁石が南北を示すのと一緒のように思いました。
 さて、妻との会話は、深夜零時のファミレスのミルキーウエイで、落ち合って話し合っていました。極真空手道という世界だけで勝負しようと思ったのですが、もっと世間に目を向けていこうという事で、業務に力を入れていました。もちろん、自営ですから経済の安定という事もあったのです。それ以上に、指導者として、どのような内容を身に着けて、どのように人を、動かしていくかという事が中心課題になっていました。夫婦となった縁を大切にするという気持ちでした。夫婦として何らかの目標に向かって動こうと必然的にするものです。将来の生命に向かって動こうとする夫婦関係、お互いに信頼する心情を通じて分かち合おうとする心、正しく世間を分析して、悪に染まらず真理に生きようとする心、多くの人と和合しようとする心、あるいは極真空手の有段者という意識から、誰よりも秀でたいと思う心、様々な心が去来するようになってきました。
 ところで、そのような大志を抱きながら、本格的に、経営者というか運営者を目指したのでした。バックボーンは、指導者に立った時点で、天を大切にして、強い運勢をかき集めるという手法に出たのです。この頃に、私の弟子としていた田ケ原正文がいました。今中村道場のスタッフになって、全世界ウエイト制の軽量級のチャンピオンになった男ですが、私と汗を流した期間があったという事でしょう。しっかり選手として大成したことになります。本人の指導者としての能力はこれからだという事です。良く考えたことは、自分自身がどのような立場であり、どんな姿をしているのか、心の基準をしっかり定めて分析してみるのです。心は焦るのです。どういう訳か、気持ちが空回りでカラカラ状態という事です。そして何か指導者としては、何かしら恐怖に威圧されるのを感じてしまうのでした。
 こうして、肉体を酷使して、稽古するという事から一線を引いて、事業面でも、道場の稽古面でも、心身ともに指導するという観点から生きるという決断をしたという事でした。一匹オオカミというのではなく、あくまでも人間関係を通じて組織を作っていくという方向性を目指したという事です。やはり、血統に両親の血が流れているのでしょう。本気になると、先祖の思いが下りてくるようでした。とりわけ、お爺さんは剣道六段でした。夫婦をベースとした二人三脚の人生が始まったという事です。そんな事が結婚を機に、芽生えてきたという事です。組織に頼らず、本心に従って、開拓していく道が個人から組織運営に、ハマっていったという事です。