2016年3月28日(八段語録2731)
自己成長と創造
全日本への出場を最後にして、次の年の春に千順さんに上京してもらい、結婚生活に入ろうとしたのでした。独身時代との決別なのですが、結構夫婦生活という事で、一緒に暮らすとなると、この場に及んでも躊躇してしまうのです。結局半年を過ぎて、秋に熱海と開業したばかりのデイズニーランドに新婚旅行に出かけるという事でした。即断即決を旨としているのですが、肝心な時には戸惑ってしまうのだと思うのです。結婚は遅くなったのですが、ある程度人生を過ごしてきたので、諸問題を解決に対するノウハウは極真で築けてきたという事です。人間としての価値、人としての歩み方、プランの立て方等、熟練してきたという事です。これまで人生を極真空手を通じて、実践体系に立脚した主義、主張ができ、実験してきたことも踏まえるという事です。落第したのか、それともクリアしたのか分かりませんが、新しいステージである夫婦生活に突入したという事です。
さて、よく世間では「人生は何だろう」という事を考えるようですが、私の場合、切り口をはっきりさせたことで、人生観の確立、国家観並びに世界観が、武道精神によって系統的に繋がりを観たのです。そして、個人と夫婦とあらゆることを連結させ、充実させようとする段階にしたのです。もう全日本にまで出場するまで、極真に傾倒したのですから、世間一般の人とは少し違うのです。個人から家庭、道場を通じて国家、世界へと、これから行くべく未来に対する確信を持っており、その事を細胞で直接体感するような心境になったという事です。人は生まれて成熟して最後はこの世を去っていくものです。昔から今に至るまで、どんな人でもそうなのですから、私も例外ではないという事です。そのような事を踏まえて、しっかり理念的形態を踏まえて生きるという事が出来るという事は、有難いと思うのでした。
ところで、そのように考えると、緊張する一瞬一瞬であり、極真空手のように実践の中に、行かざるを得ない人生行路を歩んでいく私という事は否定できないのです。両親から生まれたという事実、そして、成長して、三十四歳で夫婦として生きるという事実、家庭が出来て、年老いて死んでいく運命に置かれているですから、花のような生き方をして、納得することができるようにという信念だけは芽生えたのでした。極力、登山口を一つにして、どうせ今生きているのだから、今の時を迎えるためにある人生ということです。現実的動機と目的に標準を合わせようとするのです。それが生き方になったという事です。生きることにおいて、幸福な位置をしっかりつかみ、豪華絢爛たる位置で生き、思い通りに生きようとする自分自身を観るのです。そして、誇りたいし、好きなだけ充実させたいと思うに至ったという事です。
かっこよく描いているのですが、新婚旅行から、意見の不一致を観てしまいました。良かれと思ったフランス料理のフルコースを妻は拒否して、贅沢という一言を残してレストランを去ってしまったことや、日々の妻の手料理のまずさに、がっかりしてしまうなど、様々な葛藤は続くのです。それも、他人と一緒であるから、心が二つ、身体も二つですから、足並みが揃うはずはないのです。そこから新しい次元の闘いが始まったという事でした。