2016年3月27日(八段語録2730)
自己成長と創造
1984年・1985年・1986年と全日本ウエイト制大会と、全日本大会に出場しました。年齢的には、31歳、32歳・33歳という年齢でした。とにかく一回戦は勝つのですが、二回戦になると、判定で負けるという有様でした。それで最高の成績は、ウエイト制でベスト8に入ったのでした。それでも、この期間が一番充実していたという事です。総本部で稽古をしていましたので、総裁からの指導も受けました。全日本に出場するようになって、総本部の地下室の直径一メートル以上もあるサンドバックに向かって、蹴りと突きを打ち込む毎日でした。その時の意識は、総裁の若い日の牛殺しの異名をとる存在を目指したという事です。総本部へ通うのは、もちろん稽古という事でしたが、それ以上に、総裁のあり日を思い浮かべながら、強さの妙味を深く自分が理解するためでもありました。偉大な総裁の御跡を慕うという心情だったように思うのです。私にとって、総本部に通う事は、本当に素晴らしいように思えたのです。総裁の足跡を辿る事によって、より深く極真空手道に触れ、より愛情を注ぎ、より気高く稽古ができるという信念が湧いてきていたのです。
さて、私が自分に厳格なまでに稽古をしたとしても、それは、総裁の息吹を吸収するという目標がなければ、前に進むことができない事であろうと思ったのです。総本部で稽古をして、激しく消耗するような闘いをしても、全日本に出場する為であり、それによって、真価を現わすためであるという意識があったのです。当時、全日本に参加するためには、地方大会で上位入賞して、出場権を勝ち取らなければならなかったのです。それだけに、一生懸命稽古せざるを得なかったし、全日本レベルの実力を身に着ける闘いをせざるを得なかったのです。実力は、短い時間で備わるものではないのです。すべての事を経験して、実際に苦しんでみることによって、実力を練磨することができたのです。総本部に通う理由は、総裁が実践した全ての経験をそのまま受け継ぐためであり、素晴らしい極真の伝統を受け継ぐ為に、総本部に通う日々ということでした。実際に実践することによって、自分の収穫になったという事です。 ところで、首都圏は二十四時間休まない街でした。同じ道場生と一緒に居酒屋のはしごをしたものです。それも飲まないで食べるだけで、話を盛り上げていました。また、仕事の接待ではホテルニュー大谷のツールダルジャン、マキシンドパリ、胡蝶等、様々な高級料理も試食したのでした。世の中にこんなに美味しい処があるという事を知ったという事です。金銭は散財でしたが、今となっては思い出話になります。というのも、そのような高級料理店とは、その時以来、無関係だからです。首都圏では、様々な誘惑がありながらも、稽古と仕事だけをこなす日々でした。
日常の生活や対人関係で、あるいは交渉するすべての分野において、この厳しい稽古を乗り越え、全日本に何度も出場したがゆえに、今となっては、多くの人達を激励してあげ、力を与えてあげることができたのです。仕事でも、毎日刺激をしていくことができたという事です。本で勉強したという事ではなく、言葉一つ、行動一つを、身体が勉強したのです。総本部での稽古は、必然的に心に反映され、私の人格とされたという事なのです。