2016年3月26日(八段語録2729)
自己成長と創造
ある婦人との話をしたのですが、「あなたの歩んできた道は理解できない」というのです。そして、決定的にその婦人と私は違うし、受け入れられないという事でした。そして、「これからもあなたが歩んできた道は、私には分からないし、共鳴しない」というのです。いままで私は、その婦人の為に、あらゆるサポートをしてきたつもりだったのです。何か活動しやすいように、備品も整えて、妻の許可を得て、車まで分け与え、活動場所までも提供してきたのですが、飼い犬にかまれた感情が沸き上がってきました。私が十年間、自助努力でサポートした全てを無視するという態度にその婦人は、出てきたのでした。びっくりポンとはこの事かと思うのでした。私は思いもよらぬ感情に拍子抜けという事でした。もちろん愛情持って話を聞きました。
さて、私としては、どんな関係でも思いやりに満ちた関係が望ましいと思っているのです。そんなところには、上がってもいいし、下がってもいいし、中にいても良いという気持ちで、特別に、事を荒立てるという事は無いと思っていました。雰囲気の良い関係は、自分より高い位置であるからと言って嫌がり、自分より低いといって見下すようなものではないと思っていたのです。結局調和して、一緒に考えて努力する関係であるのです。一致団結という言葉が正しいかどうかはわかりませんが、お互い勝手に低い処から高い処へ上がっていくこともでき、高い処から降りてくることもでき、中間位いることもできるのです。つまり、どこにでも自由に制裁など受けるものではないという気持ちがあったのでした。その婦人も、この世界は愛情に満ちた世界になるべきであると思っているはずです。それなのに、自分で裁きの目を持って、分断しようとするようでは、話にならないという事です。
ところで、物事を成就していくのには、何か組織力を持って、強力に推し進めていくものでしょうか。あるいは、思想を中心に一つになるというのでしょうか。そのようにできる一面はあるかもしれませんが、それは、私の本性が許さないのです。一緒に和合できる信頼関係を歓迎せずして、納得しない自分があるという事です。お金も知識も戦略もすべて、皆無になってしまいます。私が望んでいるのは、調和や融合の世界なのです。お互いに、その人物の生き様を尊重するのです。目的に向かって、支え合って親しくなって、一つとなり、喜びうるという世界ではなければ、本心は納得しないという事です。ちょっとした活動費が欲しいからと言って、十年間支えてきた伝統も、全ての心情、備えもすべて無視して、私に返すというのです。根本から間違っていると指摘したのですが、話は平行線のようでした。
私の生き様は、五官が全部集中して、一つにさっとまとまって、笑って、踊りを踊るような気持ちで、さらに良い関係でなければ、本心は喜ばないのです。それを否定しても私は否定することもできないのです。それを否定するようでは、愛情は共にある環境ではないという事です。共に栄えることのできるという事は、お互いの信頼関係の境地以外にないという結論を私は出すのです。はっきりしていることです。わずかな経費の為に、自己主張をするようでは、話にならないという事です。それだけに主張したいことがあります。何事も推し進めていくためには、思いやりの行動の一致を見ることのできる関係性を築いていくという事がこれからの課題であろうと思ったのでした。今日はびっくりポンでした。