2016年3月25日(八段語録2728)
自己成長と創造

 三十数年前の戦略ですから、参考にはならないのですが、自分自身の心の自由を、求める為に、肉体改造という事を口実にしたのです。そして、この身体を、木っ端微塵にして、精神を強くする方法を取ったのでした。もっと楽な方法はあったのかもしれませんが、極真空手という道に、のめり込んでしまったからには、この方法しかないという決断を下して、修練に修練を重ねたのでした。ここで白状するようですが、今まで精神修行と言いながら、ほら吹きのように、一度も身体と対等に戦うことができず、何度も負けてきたというのが実情でした。それは、当たり前に精神が弱かったという事です。ところで、この心に神仏を宿るように、宗教にでも頼って、この心に神がかり的な精神の注射をして、力を二倍、三倍ほどに増やすこともできたという事です。そうすれば、熱心に身体を掴んで、引きずりながら行けるというものです。ちょうど自動車のチューブに空気を入れて、安定した車の走行ができるということです。私の選択した方法は、心に力を加える方法ではなく、無慈悲に身体を叩いて占領しようとすることでした。
 そんなこんなで、三十一歳の年齢には、東京の池袋本部に所属しました。また、地方大会を選択しながら、出場権を取得すべく、地方大会で入賞して、晴れて全日本の切符を取得したのでした。久しぶりの東京は懐かしかったのです。もちろん、西井先輩に呼ばれてという事でした。西井先輩は極真空手に対しての良き理解者でした。そして、全日本に参戦することに、諸手をあげて、賛同してくれたのでした。最初は中野に拠点を置き、翌年には本丸の池袋本部道場近くに住居を移したのでした。この時期も、東京食べ歩きをして、グルメを楽しんだのです。一回の稽古で二kgは消耗しますので、稽古が終わってからは、杉原師範、宮城師範と一緒に食べまくりました。それが、良き思い出になっているのですから、不思議で仕方がないのです。
 ところで、東京はサイクルが早いのです。ほとんどが電車通勤で便利なのですが、私はというならば、真っ赤なスポーツカーを都内で乗り回したのでした。仕事で真っ赤なスポーツカーですから、この頃も、変わり者という事です。東京に移り住むような時期には、敬愛する、千順さんも諦めがついたらしく、彼女から私に、ラブレターが寄せられるようになりました。私の心は、有頂天になっていましたので、ちょっと次元の違った心身の一致をみたのです。愛情は二重構造のように思えたのです。右の私と左の千順さんが共鳴するのですから不思議なのです。共鳴したことにより、もっと強いパワーで稽古ができるようになったのです。未知の世界でしたが、愛情が共鳴し合うと、もっと強いパワーに満たされるという事を知ってしまったのでした。いまだプラトニックの愛を貫き通す自分の姿があったのでした。
 この頃、池袋の本部での稽古は、厳しいものでした。それでも黒帯をつけて稽古をするという事は、それだけで権威があるので、どんな厳しい稽古も楽に思うのです。稽古の様子を眺めながら、どうりで、若かりし頃、この本部道場から逃げ出した理由がいくつも見つかったのです。本部にくる時期は、やはり黒帯であるべきであるという結論を出したのです。それは、疲労しきっても、湧き出る真清水のように、エネルギーが沸き上がってくるのです。