2016年3月24日(八段語録2727)
自己成長と創造
三十歳になると、四国の高松に営業所を出すことにしました。気分一新という事でした。ここでは長谷川師範の道場に通いました。とはいっても、自分の稽古に必死になっていたので、道場に顔を出したのは、わずかでした。それよりも、基本は、ウエイトトレーニングを中心に身体を作っていきました。ここで全日本に出場して闘う為に何が必要かという事を検討した結果、身体を大きくするという事に終始したのです。心と体を強くするという目標をテーマにして、一日の生活、一年の生活、あるいは、十年の生活にめげない努力をして身体を形成していったのでした。目指すべきことは、私をして変わらない私を目指したという事なのです。目標を持って、身体を作っていくという事は、どんな闘いよりも激しいものが在るのではないかと思う程でした。戦争で巣と、休戦というものがありますが、心身を鍛えるという事は、日々戦いであり、休む暇はないという事です。
さて、高松で生活してみると、讃岐うどん屋が多いのです。そして、昼はいつも、うどん屋に入っているという有様でした。特に屋島の四国村にある「たらいうどん」は醍醐味がありました。うどんを食べながら、思う事のですが、自分との戦いをしながら、肉体を作り上げていくという事は、いかに大変であるか、身を持って感じていました。全日本という目標でしたので、目標が肉体改造という事に関して、力添えをしてくれるという事でした。それにしても、高松で痛感したことは、どのような患難よりも、肉体改造の闘いが激しいと思えたのでした。日々心の闘いより生じた敗北感が大きかったようにも思うのです。このように、肉体改造に着手して初めて、肉体強化の闘いの果てに、心がしばしば負けてしまうのです。この事は、普通の生活をしていては気が付かない事なのかもしれないのです。
この事はどういうことなのかというならば、道を歩いていて突き出た石につまずいて、骨折したことは、一年や二年、いや一生忘れずに「何十年前にここで私が倒れて足を折った」と覚えているのですが、肉体改造をしている時に、心が負けて、怠けてしまったという事は、忘れてしまうことも多いのです。まして、考えない自分である事があるのです。本来、計画通り、肉体改造に強い意欲を持って、心の思うままに勝利することができれば、いつも肉体を管理するようになるのですが、そのようになれなかった為に、十分な肉体改造が出来ないという結果になったという事も思い出されるのです。それでも一年間、身体を叩き潰すような修練をしたことは確かなのです。そして肉体が、心化され、気持ちが身体をコントロールする形態を作っていこうとしたことなのです。三十歳までに、肉体の改造が終了したという事でした。全日本に出場するときには、九十kg程の体重に増量していたことになります。
今にして思えば、高松に滞在した一年間は、強制的に肉体を叩き潰して、肉体改造をしていた時期であり、結構必死になっていた時期でもありました。若かりし頃の私は、一か所に留まっていることができないようでした。それでも、目標があったがゆえに、若き情熱を発散させて、稽古に励んだのであり、仕事にも勤しんだという事でした。いい加減な事が出来ない性格ですから、道を究めようとする心は、しぶとかったと言う事です。そんな修行時代を高松で送ったという思い出が残っているという事です。