2016年3月23日(八段語録2726)
自己成長と創造

 二十九歳になると、私の慕っていた西井先輩が、東京に活躍の場を求めたことで、離ればなれとなって、気持的には落ち込むようになっていました。それでも事業は軌道に乗っていました。稽古に関しても、トレーニングに熱中していたのです。比較的自由に生きてきたこともあって、平和な心、自由な心の原点を、環境に置くのではなく、精神の充実に置いていました。肉体を引きずらないように、心の理想と希望を抱くという観点に立っていたのです。生き方の問題を、自分の身体と、心をどのようにするかという、課題を自分に突き付けていたものです。極真空手の稽古を追求することに、いささかの迷いもなかった充実した時期であったのです。それでも、私の先輩にあたる西井先生から、いつも、フランス料理、中華料理、日本料理と、高級レストランにお供するようになっていました。食の文化に十二分に触れる事もあって、贅沢をさせて戴いた時期でした。それでも、お酒やタバコには一切関心が無かったのです。そのような事でも、上京したことに関しては、がっかりという事です。
 何に関心があったかというならば、一日のスケジュールを立てるのですが、心身が伴わず、途中挫折するという事でした。これに対する悔しさや、自己矛盾に対する戦いは、いとまもなく続いていたのです。今考えても、まじめに取り組んでいたという事です。荒れることも、暴れることも無い、充実した坊さんのような、托鉢人生という気持ちでいたのです。千順さんとの交際も四年余りでしたが、何度か北広島町の八幡の実家に伺っていました。プラトニックな愛情も少しずつ芽生えて貰っているのかと、相手に思ってもいましたが、進展は無かったようでした。それも、私の片思いのままに時は過ぎ、ひたすら自己管理に対する意識を持ったのでした。この時期に、トレーニングマシンを使って、稽古をするようになりました。道場という場所と、広島新幹線口の「スパ広島」というスポーツジムに通うようになったのです。毎日のように通いました。プールもありましたので、筋力運動と泳ぎを取り入れ、プロテインの飲み物で、肉体改造に取り組んだ時期でもありました。
 この時、体重は七十kgにも満たなかったのですが、筋肉量を増やしたために八十kg程にがっちりしてきました。プロテインを一年も続けると、良質の筋肉が付くものです。大会でも良い成果が上げられるようになってきました。精神面も、嫉妬、闘争、悪なる感情を除去して、自滅を招かないような生き様を心がけていた時でした。この時になると、気持ちは極真精神を目指し、身体はあらゆる高級レストランに出入りするようになったのです。経費は全て食費に消えていくという事でした。贅沢という気持ちもありましたが、それ以上に肉体改造に取り掛かっているという実感が渦巻いていました。食欲が止まらない時期でもありました。本当に食べまくりました。
 そのような事で、絶対にすべきことは、強靭な肉体と精神力でもって、自らの道を切り開くという事でした。心を中心に身体を完全に征服して、強固な肉体のレベルアップに努めたという事です。俗にいう極真ボデーという事です。身体と心が行違ってしまわないように、稽古に邁進することを、第一目標としていました。このような目標を掲げることができたのも、地上最強を目指すという志があったということです。