2016年3月22日(八段語録2725)
自己成長と創造

 二十八歳、有段者になると、極真会館という看板に関して、更なる誇りを持つようになっていました。有段者であるという気持ちは、生命よりも重要視するぐらいの気持ちなのです。道場に通えば、黒帯を締めるわけですから、誰からも尊敬の眼差しで見られるようになったのです。もちろん、稽古をつけるわけですから、いい加減な指導はできないのです。自分に対する誇りも当然大きくなりますし、黒帯であるという志操を自覚するようになるのでした。一緒に稽古する田原敬三氏の存在は、刺激であり、お互いに黒帯の姿勢を間違えまいとする、気持ちを強く抱くのでした。それも徹底轍尾でした。あこがれの黒帯を締めたという事で、全ての面で新しい次元の生活をしなければと思ったものでした。当時、パワー空手という雑誌が出版されていたのですが、広島での道場での稽古の様子や、大会の成績を載せていました。その自分の記事にも刺激を受けていたのでした。
 そして、どのような存在になるかという事も模索したのです。例えば、森林なら皆緑に茂っているのですが、森の中にもいろいろと種類があるのです。松の木も緑であり、アカシアもみどりなのです。松の木とアカシアを接ぎ木したら二つの木とも枯れるのです。いくら二つの木が茂っていたとしても、松の木は、松の木に接ぎ木するのであり、アカシアはアカシアに接ぎ木するのです。そのような意味で、極真の道場生に対して、接ぎ木できるだけの同質の内容を磨いて、伝授するような気持ちを持とうとしていた時でした。これは、自分が酒や女に溺れたらいけないという戒めのようにも思ったものです。もちろん、人によっては、黒帯が終着点で、取得して終了という人もいました。私の場合、極真の修行の出発点として考えたことに間違いないのでした。その時、思ったことは、八年の歳月をかけて、地に這いつくばって、たどり着いた黒帯ですから、天から加勢が必ず加算されるであろうと思ったものです。実際に天地が合わさるような強運を掴んだように思えたのでした。
 ところで、広島でも自営で仕事をしたのです。多くの人と出会いました。そのような出会いでも、心がけたことは、極真精神で潤っている自分であり、磨きをかけてきた肉体の存在という事でした。それだけに、自分も他人も粗末にすることのない自分であるべきであると勝手に発想していたのでした。広島には三年余り滞在したのです。そして、規則正しく、朝五時になると走り込みをして、稽古も一時間余り汗だくになって日々を過ごしました。全国大会としては、ウエイト制の前身である西日本大会に出場を果たしたのでした。とても緊張しましたが、この大会を機に、全日本に参加するようになって、修行の集大成をするような試合に出場し続けたのでした。そのような意味では、広島は免許皆伝の地であり、飛躍の地になったのは間違いなのでした。
 純粋な生き方、きれいな歩みは、空手の組手の形にも表れます。目標は全日本に出場して、大会で自分を磨くという事でした。その気持ちを三百六十五日、大会のわずか三分の試合の為に費やす日々が続いたのです。決して、チャンピオンというレベルまでの闘いは出来なかったのですが、毎年全日本に出場を果たし、一生懸命の人生を体現したという事になります。そして、この広島が、妻となる千順さんの生まれた土地であり、何か自分の成長と深くかかわりあいのある期間であったように思うのでした。