2016年3月20日(八段語録2723)
自己成長と創造
二十五歳、二十六歳、二十七歳と三年間は、指導者としての帝王学を学んだような気がします。環境調整、人材管理、そして組織運営を、正しい言葉で指導するという、体験を積んだのでした。原則的には、自己管理を徹底することを強調しながら、自己管理から組織運営という道を、切り開くという戦略に出たという事です。今考えれば、店舗を構えて若い時に、一国一城の主として采配を振るったという事です。世の中に出ていたならば、青二才であり、若造に過ぎなかったのですが、こうして、新たなる開拓の道を推し進めることができた、立場に立ったという事が、あらゆる指導者としての、能力を身に着けたという事なのです。組織運営で最も注意したことは、「部下同士の争いを、指導ゆえにマッチポンプさせないということ」でした。各人の位置をしっかり立てて、責任の明確化をしながら、融和と調和のとれた組織を目指したという事です。それだけに、同等な立場の指導者に関しては、同じ時間と、同じ愛情を注ごうとしたのです。そのような意識での指導が、組織の解体につながらない道であると悟ったのでした。
さて、拠点も広い環境を求め、ホワイトガーデンと名付けた、広い敷地の場所を選択しました。活動をしていく上で、とても便利でした。その運営維持のためにも、自分を追い込むという行動に出たのは正解であったと思うのでした。いつも綺麗な、心構えが願われると思ったのです。策略や戦略に陥ることなく、真心で接していくという組織運営を心掛けたのでした。若くして指導者ですから、何をどうしたら良いやら、分からない状態ではありました。さらに注意を払ったのが、人の心を蹂躙してはいけないという事を徹底的に、肝に銘じた事でした。極真空手の稽古は、人を信頼するという精神力を磨くという上で、相当に、役だったのです。部下の間違いを裁く事は、当たり前のようにできるのですが、彼らの過ちを、許して、自らの責任にして愛情を注ぐとなると、更なる成長が願われるのでした。誰にでも愛情でタッチしようとする原動力が、稽古での精神力の強化にあったという事です。
ところで、この時期に意識したことは、健康な身体を維持するという事と、それ以上に、指導能力を磨くという事でした。それの手始めが、正しい言葉を学ぶという事でした。体験談や、斜め四十五度から、断定的な偏見を持たないという事でした。色々な指導者の話を聞くと、自慢話であり、何か自己の領域を守るような言動が多いのです。その事を、自分が注意するという事に全力を傾けたのでした。そして、千順さんという恋人に出会った私にとって、心がけたことは、愛の失敗をしないという事でした。愛情が破綻しないようにするという事はもちろんのこと、二股三股と世間を騒がしている不道徳な事をしないという気持ちは強かったのでした。「人に勝つより自分に勝て」という指針は、このような愛情問題にも波及したことは言うまでもないのです。
そんなことで、純粋な自分の心情を、変な男女関係や上下関係に変質させたくなかったというのが、信念になっていました。その強化ともいうべき、修行が稽古であったことは間違いない事です。もちろん、道場で修行した人が、そのような意識を持っていたかというならば、否という事です。私自身の独自な発想が、帝王学に通じていったという事です。