2016年3月19日(八段語録2722)
自己成長と創造
二十五歳になると、北大農場の南側に古い一軒家を借りて、それなりの行動をしていました。この一軒家は築40年以上の古い館で、名称をブルーハウスと勝手に名付けたのでした。そこから道場には五分とかからないので、選んだのですが、余りにも古かったのです。内装するだけでも、経費がかかってしまいました。帯も黄色帯をつけるようになっていたので、それなりに自信もついてきていました。道場で組手をしても、負けるようなレベルではなくなっていったのです。身体も大きかったので、技というよりは、体形と体力では負けないまでに成長したのです。それなりに、下積み時代は過ぎ去り、道場でも明るく楽しくなる時代に突入したという事です。道場でも誰に憚る事がないほどの実力と、血を流したとしても、勢いが出るようなレベルという事になってきたのでした。
二十五歳になるまで、落ち着いて布団に寝るという事も無かったのですが、せんべい布団を購入して、足を延ばしてゆっくり休めたという記憶が残っているのです。この頃の私は、志を高く持っていたので、横道にそれることもなく、必死にもがいているという印象でした。多くの人は、社会のレールに乗って、社会人となるのですが、私はというならば、自分の進むべき道に忙しかったという事です。そうしないと、誰に頼るわけでもないので、自らの進むべき天下が見えてこなかったという事です。誰も行かない道をわざと行くのですから、結構深刻です。自分が準備しようとする課題の前に、眠れなくなる時もありました。もちろん潰れそうになる時もあったのです。そんな状態でしたので、他に何か考える余地など無かったという事です。気持ちは、それでも「もっとやろう」と焦るのでした。
ところで、道場で修練するようになってからは、気持ちは変わってきました。強くなるまでは、自己主張しないという事です。もちろん、力関係もあって、先輩には敵わないという事も含めて、黙々と修練するのです。先輩の中でも、私に厳しくする人もいました。本気で組手をするのです。もちろん、「参った」と手をあげても、それでも容赦がないのです。そんな先輩に対しては、良い思いがないのですが、私の自己主張に対する制裁であると思ったのです。結果的に、謙虚になる事が出来る道筋を整えてくれたように思うのです。結構勢いがあった私であったので、力でねじ伏せられなければ分からない事もあったという事です。そのような意味では、大学も卒業したわけでもない、また社会の経験も無かったので、このような厳しい先輩がいたという事が、有難かったと思うようになっていたのです。道場に通っていたから、先輩が意地悪であったから、謙虚な姿勢が芽生えたのかもしれないのです。傲慢な自分を戒めることができたという事です。
このような状況でしたので、人に迷惑をかけることなく、一生懸命に頑張っている人という印象を与えることができたという事です。本当ならば、受験勉強であるとか、資格を取るという事で、一生懸命になるのでしょうが、自分の道を行くために寝ることも、食べることも忘れて歩むという選択は、それなりに有意義であったように思うのでした。楽な生活に溺れることなく過ごせたのも、極真空手という武道があったからであると、いまさらながら、感謝しているのです。