2016年3月18日(八段語録2721)
自己成長と創造

 北海道高木道場で稽古をしていたのですが、二年も経過しないうちに、身体はボロボロとなり、怪我だらけの身体になってきたのです。腰痛が高じて椎間板ヘルニアにはなるし、もう限界状況でした。二十二歳の春には、静岡の浜松に放浪の旅に出かけるのです。限界まで挑戦して、倒れて旅に出るというパターンは続くのでした。吉川栄治の「宮本武蔵」新渡戸稲造の「武士道」、そして人間関係の熟練の為にとカーネギーの「人を動かす」「道は開ける」等、読んでいたのです。浜名湖周辺を散策することや、藤枝、日本平から、富士山を望み見て、のどかに過ごす日々を送ってもみました。まさに、極真空手をして、真剣勝負だけに、素手素足の格闘技だけに、怪我は付いて回っていました。それでも、治療しては、戦列に復帰するという覚悟が出来てはいたのです。治療では、十字式と呼ばれる療法等、様々良いと噂される治療院には、かなり出入りしたのでした。
 それから、三か月もして、千葉に移動して、九十九里の浜辺を流浪したりしたのです。そこでは、人生の思想武装に余念がなかったのです。そこでも三か月みっちり過ごして、再び北海道に戻ったのは、秋頃でした。また挑戦の始まりです。普通の人は、社会のルールに乗って、活動するのですが、自営と修行という二本立てでした。結構自由に動きまわっていたという事です。そんなに遠回りしても、個々から新しく始まるという気持ちが強かったのでした。「実に良くサボったな」という気持ちがありながらも、「この身を輝かせる、これからがいい機会だ」と本気に思っていたのです。仕事も現場にまかせっきりでしたので、反省しきりでした。一人だけ楽できないと思って、何倍も活動し、いくら疲れていても、頑張ろうという気持ちを優先させたのでした。稽古も仕事も、私が望む目標を必ず達成して、それ以前には倒れることが無いようにという気持ちで張り詰めていました。
 また北海道に帰ってきて、楽な生活をしようとは思わなかったのです。新しい事を発見して、決して習慣的にならないように刺激と冒険を重ねようと意識を新たにしたのです。そんな気持ちで、稽古をしている時に、今の妻の千順さんに出会ったという事です。北海道で稽古よりも、仕事よりも、最高の収穫のように思えました。「これぞ心に適った人」という気持ちが強かったのです。職場での女性には何も感じなかった感情が沸き上がるのです。これがひょっとしたら「初恋」という気持ちでした。もちろん、幼馴染の女友達に対しても、それなりの感情を持ったこともありましたが、今回出会った女性に対しては、「心臓が張り裂けるように苦しくなるのは」という感覚でした。二十四歳の初秋でした。
 この出来事があって、精神的に支柱が自分の心に立ったという事でした。結婚まで、十年間ありましたが、何か新しい事をする上で、相談する相手が出来たという事です。この出会いをして、流浪の旅に終止符を打つのでした。十八歳から二十四歳まで、悩み多き全国行脚の旅が続いていたのですが、天より偉大な女性が私の傍にいるという強い自信がついてきたのです。それからの人生振り返ってみると、何もかもうまくいくのです。決して逃げ出すことのない人生となったのです。そのような、私の人生に後光が差したようにも思えたのでした。持つべきものは、燃え上がる恋愛によって与えられた妻であると思うのでした。