2016年3月16日(八段語録2719)
自己成長と創造

 いつも生活の中で実践していたことは、時間がもったいないという気持ちと、眠りの時間を少なくするという気持ちが大きかったのです。そのような意識があると、何か今の時にやらなければならない事が示されるような気がしたのです。二十歳を過ぎての北海道での稽古は、刺激的な事が多かったのです。若い頃ですから、いい加減な生活になりがちですが、朝は5時には起床して、心身の鍛錬を始めたのです。それから、間髪を入れずにスケジュール闘争の日々でした。時間は全てをもたらしてくれるし、奪っても行くのです。このスケジュール闘争は、人生をエンジョイするうえで、大切な技術であると思えたのもそんな若き日の事でした。普通の青年の場合、職場等に管理されたりするのですが、私の場合、自主的に行動スケジュールを立て続けたのです。過去と未来が連結されている今を大切にすることが、生きがいのように貴く感じたのです。この時間を最大に誇りうる何かを持とうと、もがくような日々であるという事でした。
 北海道に渡った頃は、何か実績があったのでもなく、特に人生で長い歴史と誇りを持っていたわけでもなかったのです。それだけに、今という瞬間をいかに大切に送るかという事が貴重であると思った訳なのです。歴史を振り返るまでもなく、普通の生活をしている日常生活が、歴史的な運命を決定される瞬間であるようにも思えたのです。決していい加減にしないようにと、思ったものでした。そういう意味では、一瞬間の失敗が、一生の功績を全て失ってしまうのではないかという気持ちにもなっていたのです。会社の運営も、道場での稽古も充実していました。高木道場での稽古は、激しい稽古でした。身体の大きい私は、先輩の標的になったのも言うまでもないのです。札幌トレーニングセンターという道場でしたが、様々な稽古をしたのです。今考えれば、「よくもそんな事できたな」という実感をするのです。例えば、騎馬立をして、肩に同僚を載せて、一時間も継続するのですから、汗が床で白く乾くまでの激しさを増していたという事でした。
 ところで、そのような地道な歩みをしていると、時は知らない間に訪れて、知らない間に過ぎ去るようでした。今日終わりの日が始まるような気がしましたし、希望の日が始まるのではないかと、期待に心を震えた日もあったのです。この時の人生に対する気持ちは、人の命が有限である事など思いもしなかったのです。それでも時間は絶えず過ぎ去っていったという事も事実でした。ですから、空手の稽古は、二時間余りでしたが、時間を捕まえる大切な儀式のようなものでした。この稽古で汗を流したという事は、この稽古で時間を掴むという気持ちを抱いたし、大きな活力を得たという事なのだと考えているのです。
 話は変わるのですが、最近の不倫報道が目立つのです。私とて心を動かされる女性には、確かに出会いました。しかし、性的行為に及ぶという事など考える暇は無かったのです。結局、片思いという事はあったにせよ、独身の私だとしても、一線を越えるという関係は持つことも無かったのです。ある意味で、平気で一線を越えるというとは、安易であると考えてしまうのです。一線を越えて関係を持つという事は、生涯その女性に責任を持つというと思っていましたから、限りなくブレーキが掛かったのは、言うまでもないのです。男性でありながらそれなりの貞操を抱いたという事なのでしょう。