2016年3月15日(八段語録2718)
自己成長と創造
人生の中で、惚れてしまう程の指導者に出会うという事は、人生において、極めてラッキーであったと思うのです。本当に空手一筋で生きて、世界を股にかけて、人生を謳歌した人がいるという事そのものが、奇跡のように思えたのです。話には、勢いがありました。そして、そのような人生を歩みたいと思ったものです。もちろん、天才と凡人との違いはありますが、あこがれの存在という事だったのです。極真空手の神髄でもある書籍に、出会って、何度も熟読したものでした。稽古をしている時は、この指導者が、私の人生に関心を持ってくれていると本気で思ったのです。この指導者が歩んだ道を追体験できるのが、この道場であるという事でした。ですから、稽古で上を目指すことに、いささかの迷いも感じることは無かったのです。過去の指導者の姿も輝いていましたし、今出会って指導して下さる、この方に投入しても、何倍も返って来るような思いがしたのでした。
いつの間にか、稽古をサボるような気持ちになれなくなっていました。もう心が許さないのです。稽古を中断するという事になると、その中断したことを苦に、眠れないのです。今、一緒に生きている世代の若者よりも、もっと多くの苦労をしようと思ったのです。生活するうえで、経済的問題や精神的問題等、いろいろと重なって来ましたが、それも苦にせずに稽古しようとするのでした。私以外の誰にも指示を出そうとは思わないのですが、自分に対して、全部、自分自身が指示するのです。楽な生活をしようなどとは、微塵たりとも思わなくなっていったのです。北海道時代は、稽古をしない日は、行商で全道を回るのです。距離が半端ではないのです。車中泊という事も度々ありました。居眠りでもしたならば、直線の多い北海道の道ですから、事故で生命が無くなります。目的があったので、そんな仕事でのドライブも居眠りすることなく、闘ったという事なのです。
ところで、空手に魅力を感じていたものですから、その頃の私は、眠ろうとしても、気持ちが先立って眠る事が出来ず、休もうとしても休めないような精神状態になっていたのです。切り開いた指導者に比べて、私自身すべてが未完成であるので、安心して眠れることができなかったようでした。この頃も、例え真冬の寒さになろうとも、寝袋に毛布を突っ込んで寝ていた思い出が残っているのです。もちろん、仙台に帰ろうなどという気持ちにはなれなかったのです。故郷を後にして家出したからには、おめおめて、帰るという事は、考えられなかったという事です。もちろん、懐かしさがこみ上げてきます。その懐かしさをばねにして戦う他は無いという発想になっていたのです。寒い時は、寝袋と毛布が、絹布団以上の価値を感じたものです。それは、極寒の北海道を体験してみないと分からない事かもしれません。本当の事ですから仕方がありません。自分が行くべき道を、最後までやり遂げなければ、手足を広げて布団に寝ることができるとは思ってもいなかったのです。
好きで歩んだ道ですから、誰にも文句は言う事は出来ないという事でした。そのような気が狂ったような二十代前半にも、良い事もありました。自分の生き様を理解してくれる女性に出会ったという事でした。もちろん、彼女は、私の事を好いてくれているという事ではなかったのでしたが、心の支えになってくれたのです。それが今の妻ですか不思議です。