2016年3月14日(八段語録2717)
日自己成長による創造1
第二節 自己管理


 自己管理については、結構努力を重ねた経験があるのです。中学生時代から、友達とよく話しました。夜を明かしながら、人生について考えたものです。平均五時間ぐらいの睡眠時間でした。勉強と柔道をして、家に帰っては、自習を重ね、夜の十時すぐには、友達がやってくるのです。結局夜中の二時近くまで、色々と話していたのでした。その頃の思い出が一番鮮烈に残っているのです。結構疲れが溜まるのですが、日々充実した歩みという事でした。その頃の、精神的バックボーンは、柔道の姿三四郎というテレビ番組がありましたが、結構影響を受けていたのです。強さも求めますが、それ以上に、「人に勝つより自分に勝て」という気持ちが大きかったように思うのです。自分の貴い肉体を酷使して、生命を切り刻んで過ごすことに、生きがいを感じるのでした。青春時代は、何故か睡眠時間を削って、何かに投入しようとする気持ちが大きかったし、無駄に時間を過ごしたくなかったのでした。
 さて、そのような青春時代を過ごして、何をしたかったかというならば、自分としての誇りと伝統を打ち立てたかったという事です。特に、私がいつも思っていたことは、人が生きていくためには、いろいろな方法があるでしょうが、なるべく、世間と歩調を合わせたくなかったのです。それは、読んでいた本にも影響されたという事でした。カフカの「変身」やヘルマンヘッセの「車輪の下」で世間に迎合するような人生は、歩まないようにしようという気持ちが芽生えたのです。世間の歯車になるのではなく、世間から列外と言われようが、自分が自信を持って生きていくという気持ちが強かったのでした。結果、本当にエイリアンのような超人的組織である、極真会館に入門したことにもなったのです。何か世間と違っていること、批判を浴びても、果敢に挑戦している団体に心が惹かれたのでした。
 ところで、そのように思っていたのでしたから、人と違う事をしたかったというのが本音でした。極真空手を習うようになると、朝早く起きて、稽古をするという事も、伝統にしたのです。一番稽古量を多くすれば、充実すると思ったものでした。それは、柔道をしていた時と同じ考えでした。人生に何が待ち受けているか分かりませんでしたが、全日本大会に出場することが、目標の一つになっていました。道場で稽古をすると、ある程度までのレベルになると、強さが拮抗します。そこからが、一年間、どのように全日本大会に備えるかという自己管理の日々という事になるのでした。身体を鍛えるという事は、ものすごく、努力や苦痛を伴うものですが、全てやり遂げていくと、幸福な気分にだんだん近づいていくような気持ちになっていくのでした。
 稽古が充実してきて、闘って喜ぶのは、闘い続けた私という事に気が付くのです。普通の道場生は、全日本という目標はありませんから、稽古だけの疲れが出ますが、目標があるだけに、疲れることができないという気持ちになって、さらに努力を重ねて、自主トレに励んだ思い出が残っているのです。全日本に出場したとしても、プロ野球のように、金銭的に恵まれるという事も無いですので、本当に修行の日々という事でした。これも、自己管理には役立ったという事です。