2016年3月11日(八段語録2714)
組織論
第六節 ポジションにおける役割 本部と道場生


 極真会館の組織をアルプス山脈に例えるならば、低い峰の立場にあるのが道場生とご父兄という事になります。高い峰が現場の師範を中心とする本部という事でしょう。低い峰の立場にいる、多くの道場生とご父兄が高い峰の現場の師範を中心とした本部の事情を知るには、高い峰にいる本部を信頼しなければならないでしょう。ここで高い峰にある本部を批判しては、道場生としての現在の立場から抜け出せないのです。結局は、成長もしなければ、本人達の発展もないという事です。今のレベルを維持し、それ以上越えようとするならば、無限の闘争をしなければなら無らなくなります。確かにそのように、無限な闘争に入った人もいました。十年経過して、どのようになったかという事ならば、語るまでもありません。環境が整えられていて、道がすべて整えられていて、その整えられた道を道場生とご父兄が行けばいいという確信があるのです。それにもかかわらず、その道を途中で脱線して、自分一人で承知していくとするならば、無限な困難が待ち受けているのです。それは、無意味な闘争をしていかなければならなくなるという事です。本部というものは、形で見れば中央であり、中心は点に近いのです。そして中心は一つしかないのです。それは、現場の師範から出される方針であり、計画なのです。
 それ故に、本部で何か指示したという時には、守らなければなりません。本部が指示したことに従うと、不便なこともあります。ここに順応する心より反発する心を持つことがあります。反発する心は、その状態のままでは、消耗戦に入っていきます。順応する心が強くなる時には発展が起きますが、闘争の要件が起こると消耗するのです。また、道場生の中には、代表師範に従ってきたのであり、本部から指導される筋合いはないという道場生もいました。本部の責任者を誰が立てたのでしょうか。体表師範が立てたので、従うのが原則であるのです。本部を中心に、互いに団結し、互いに連結しなければならないのです。団結するには、道場生が譲歩して一つになるべきです。道場を出発させて代表師範の事も考えて、何があっても代表師範を、安心できる良い知らせを聞かせてほしいものです。これは、本部からの系統を通じて、組織を生かさなければならないということなのです。個人主義で対応してはいけないという事です。組織的な活動をするには、行動組織にしなければならないのです。
 特に古くから代表師範と共に歩んできた指導員は、個人の意見を生かすという考え方を強く持ってはいけないのです。私が長く道場に在籍するので、私の思い通りにならなければ気に食わないという発想では駄目なのです。多くの新しい道場生が門前に待っているのです。信頼される道場にするためにも、しっかりした教育の軌道を作らなければならないという事です。訓練されていない新しい道場生を、立派な道場生にすることが出来るかどうかは、古い指導者にかかっているのです。ここに本部を中心とした命令系統が確立され、数的基盤と質的基盤も連結されていくという事になるのです。本部からの指示が徹底されると、道場の良き教育循環が生まれて、多くの道場生が正しく巣立っていくという事です。