2016年3月8日(八段語録2711)
極真道場運営とは
三節 理想的な組織形態


 もうすでに、道場の運営を道場自体内で完結するようにしているのです。大会運営はもちろんの事、日々の稽古の日程においても、責任を持って、自己完結型で指導するという組織体制の確立がなされようとしているのです。私達の理念は、頂上から底辺まで浸透しなければならないのです。立法部があり、行政部があり、司法部が、互いに中核として、指導的な役割を果たさなければならないのです。これはヘッドとして、当然のことながら、執行部が担わなければならないのです。発想の原点は、階級的組織というのではなく、家庭的であるという発想です。すべてのヒントは家庭にあるという事です。家庭でなくては駄目だという原点がこのグループにはあるのです。というのは、道場が社会環境に適応させられる制度は、結局のところ人の構造に似せるという事です。例えば、情報機関という事を考えれば、人間の聴覚器官と同じように見るのです。適性的要素の、即刻報告を受けて対処するという事です。強力な体系を備えてこそ、道場は栄えるというものです。結局、発展していく道場は、何に似ていくかというと、健全な人に、似ていくという事です。つまり、心と体と環境が引き離せない一体理想の人物として、運営されていくというものです。
 さて、極真会館の道場で一番問題になったのは、器官が正常に動かなかったということです。宮城県で極真会館に携わって、二十数年に及んでいるのですが、肺が機能不全に陥ったり、胃腸が弱ったりしたのです。つまり、生命の源泉となる食物や酸素を吸収しなければならなかったのですが、器官が働かなくなったという事です。というのは、新しい戦略を立てるのですが、その理想的な材料を吸収できなかったという事です。ですから、酸素が欠乏し、栄養失調となって、道場組織が疲弊するようになったという事です。現場の師範から発した理想的な主義や思想が伝わらないままに、瀕死の状態になったという事です。このような過程を、幾度となく繰り返してきたのが、極真会館宮城県本部という事になります。健全な人体になる事が出来ず、ある者は反旗を翻し、ある者は離れていったという事です。
 ところで、このような人体の欠陥を修復してきたのが、七年前に出発した新体制という事でした。あらゆることをチェックして、もう一度健全な人体に戻す努力をしてきたのです。極真会館手塚グループは、道場も一つの家庭形態を模索してきたのです。道場にお父さんがいて、お母さんがいて四方に道場生を育てる努力をして、現場の師範が動きやすい家庭組織を目指したという事です。すなわち、いくら組織が大きくなろうとしても、一人の人間のように、そして一つの家庭のような形態を目指したという事なのです。
 現場の師範を中心として、両手のように、かゆいところに手が届く、スタッフがいるのです。ここが頭脳になって、現場の指導者に意思伝達がなされるようになるのです。このように指示されたことは、現場の師範、スタッフ、指導員、道場生と伝達されるようになっているのです。この体制が築かれるまで、相当な期間を費やしたことになります。このような系統がすでにてきているという事で、驚異的な発展をするに違いないという判断をするようになっているのです。このような理想的な組織体系を築くまでに、どれだけの汗と涙を流したかという事です。そして、その理想を目指して、開拓の時が始まったばかりなのです。