2016年3月6日(八段語録2709)
第五章 極真道場とは
第一節 道場に通う生活とは


 極真会館とは何をするところなのでしょうか。人格を形成し、人格を育てるところです。人格を訓練するうえで、極真道場は必要なのです。家庭生活から社会に出ていくための、あらゆる内容を構築するのが道場なのです。それだけに、社会に貢献するような人生を描かなければなりません。その為に家庭において訓練するのですが、道場で修練しなければ、家庭と社会の爪弾きになってしまうという自覚が必要です。それだけに、道場を大切にしなければならないという主張をするのです。その足場にせずには、行けないというような価値を見出すのです。そうすれば、家庭も道場を足場として正せるのであり、社会にも影響を与えていくことができるのが道場という事なのです。家庭を守っていこうとするように、道場を守っていこうという意識は必要です。知恵ある人は、道場での稽古での修行の成果を、家庭に反映させるのです。
 さて、「正しい判断をする」という時に、何を持って正しい判断をするというのでしょうか。一致させようとする主軸が無ければならないのです。それが道場で培う極真精神であれば申し分ないという事です。つまり、道場の稽古を通じて、「正しい判断をする」という中心軸が必要なのです。そのような位置に立たなければならないという事です。稽古に精進すると、その中心軸が見えてくるのです。その結果、家庭的な伝統と精神的な伝統、そして、その土台の上に経済的な伝統を立てることができるとしたならば、成功に導かれるという事です。
 そこで、道場における生活で大切なことは、
① 道場の意味を自分なりに自覚すること。
② 過去・現在・未来を調和させ、理念と人格と愛情を総合させる。
③ 道場で稽古を通じて、家庭がうまくいき、家法をそれなりに結実させ、人格の認定を受けるように努力し、よりよい生活の訓練場と位置付ける。
④ 道場での神聖さを持って、相互扶助の関係を抱きながら、精神的支柱になる。
⑤ 活力の源泉として、毎日生活力を補給する。             
人は刺激を受けなければならないのです。その刺激を道場で得るように努力するのです。
 結論として、道場で稽古を一生懸命しなさいというのです。理由は、より大きな人物にする為なのです。道場で稽古をするという事は、自分がもっと大きくなる為なのです。どのぐらい大きくなれば良いかというならば、最高に大きくなるために稽古をするのです。ここで大きくなるという事は、どのような意味かというならば、最高の円満さと円熟さを備えるという事なのです。このような観点から、自分が稽古する意義を見出すという事を知らなければならないのです。この出発点を道場で、自らの努力で捕まえるのです。道場で稽古する価値をここで見出し、しっかりと道場を基軸とした生活がなされるようにという事です。このような思想的伝統を残そうと今まで稽古をしてきたのです。道場に通う事を、只の習い事と並べてはいけないという事を自覚して欲しいのです。