2016年3月5日(八段語録2708)
第四章礼節
 指導者は躍動の稽古が礼節


 極真会館の稽古は、いつも張り詰めて緊張していました。指導者が先頭に立って、稽古時間を仕切るのです。稽古をしている時は、真剣そのものです。人生の中で例えるならば、女性がお産の時に、苦痛を感じるような立場に似ているのです。全身をすべて集中しなければならないのです。肉体の限界を超えて、精神も集中するわけです。ある意味で、産婦が産室に入るような感覚がなければならないのです。その境地に達するために、あらゆる準備をして、備えなければならないのです。お産する過程を産婦は、頭の中で産婦は分かっているのです。その事実が問題ではなく、その境地に達する気持ちという事です。道場生を成長させることができるかという、大きな壁を乗り越えるような気持ちでなければならないという事です。教室の稽古を見て、「この稽古は何だ」という事に成れば、その指導者の立場が完全になくなってしまうのです。
 そうすると、稽古時間を、いい加減にしてはならないという事です。指導者にとって、最も大切な事は、前に出て、稽古を指揮することです。道場生の前で稽古を指導すると、道場生全員が注目します。白帯、オレンジ帯、青帯、黄色帯、それぞれが指導者の指導内容で成長するのです。ですから、道場生の前で稽古をするということ自体、とても大変なのです。また指導者は、日々同じ稽古であってはいけないのです。日々常に補充し、特に著しい成長を遂げている道場生に必要な事を、いつでも供給してあげなければならないのです。そのような前提に立つときに、指導者は絶えず、新たな悟りの世界を追求しなければならないという事です。いつもと同じように準備して、いつもと同じように稽古をしていたとしても、そこに新鮮味はないのです。絶えず指導者が成長して、新たなる境地に立たなければ、新鮮な稽古は出来ないのです。
 その事をもっと突き詰めると、指導者が、昔と変わらない稽古をしているとしたならば、タケノコのように、成長を欲している道場生はがっかりします。理由は、道場生は成長しているからです。春夏秋冬四季によって、変化を感じるのと同じだからという事です。朝だからといって、いつもの雰囲気とは変わらないのです。日々いろいろな事があるのです。とりわけ、憂鬱な日もあれば、朝の日差しも明るく、爽快な天気のように、明るく振舞える日もあるのです。とにかく、日々刺激が満載しているのです。それと同じように、稽古をするにおいても、その日の稽古メニューをしっかり立てて、最大の解決方案を提示し、稽古を調整しなければならないという事です。何度も語りますが、稽古で新たな内容を提示しなければならないのです。どのように刺激を与えていくかという事です。
 準備のできていない稽古をして、どうもうまく運営ができなかったとき、振り返って反省するという事も選択肢なのです。それは恥ずかしい事です。自分の恥ずかしさを知るという事も必要なのです。そうしてこそ発展がなされるという事なのです。とにかく、稽古をするときは、新鮮な新しい味がする稽古をするように努力するのです。この内容が、指導者の道場生に対する礼節という事です。