2012年2月25日(八段語録1603)

取り組む勇気


 ほんの少しばかりの勇気に欠けていたために、多くの才能ある人達が一生を棒に振ることがあるのです。思いっきり着手する勇気が無かった為に、一生何をしてきたのか分からなくなって人生を終えてしまう事があるのです。大勢の人が毎日墓場へ送られているのです。墓場に送られた人も、大志を実行していたならば、おそらく有意義な人生を送ったはずだという人は少なくないと推測するのです。
 私も、来年は還暦なのです。「鈍くなる感覚,麻痺する四肢,目も耳も障害をうけて,歯も同様である。死のそんなに大きい部分がもうそばを通っている。すなわち残るのは死の到来のみだ。」と書いた文学者がいます。その手前で、私は、あらゆることを決断して実行しようと思うのです。もし、充実した人生を送りたいとするならば、寒さや危険を恐れるようでは駄目なのです。
 私は、ぼんやりと立ちすくんでいたりはしないのです。思い切って危険を顧みずに、飛び込むのです。後は全力を尽くすのみなのです。これが冷厳な現実というものであると思うのです。万事大らかなノアの洪水以前でしたら、百五十年後の生き方を友人と相談し、その結果を見届けるまで長生きする事が出来たであろうと思うのですが、この忙しい現代は違うようです。この忙しい現代では、夢への着手を手控えて思い悩み、あれこれと人と相談してばかりいれば、いつの間にか私のように六十歳を迎え、時間が無くなっていくのです。
 このような事を考えて、週末を送っていたのですが、久しぶりに、子供達と、ファミレスで、楽しい一時を過ごしました。もう全員二十歳を超えているので、個性が良く表れています。はっきりとした意見を持ち、話し合うには十分手ごたえを感じました。息子とは、解剖学の話です。こちらは初心者ですから、息子の話に夢中にさせられました。茂奈ちゃんは、新しい未来の生活を描いているようでした。子供を四人は作ると意気込んでいました。順香は、もうそろそろ結婚適齢期であろうから、早く相手を見つけたらいいのにという話になりました。文誉は、天真爛漫、遊びっぱなしですが、何か悟りながら、大学での勉強を頑張っていければいいと思うのです。ファミレスで、楽しい一時を過ごさせてもらいました。子供達が、この親から大きく飛び立つまで、頑張らなければと、自分に言い聞かせているのでした。