2016年2月28日(八段語録2702)
第三章振り返って
第四節 札幌での修行


 稽古を本格的に開始したのは、高木道場でした。高木師範の熱心な極真空手に対する姿勢を学ばせていただきました。とても面倒を見てくれました。くじけそうなときに、よく声をかけてくれました。稽古を四時半と七時の二回あるのですが、両方に出席していました。稽古をすると、とても精神力が集中できて、一日中、気持ちよく過ごすことが出来たのです。  稽古を始まる前に、北海道大学のキャンパスをランニングコースにしていました。道場での稽古を継続してくると、心のアンテナが高く上げているように感じました。自分の確立が強化されて、未来に連結されるように思うのです。そのような意味では、充実した生活でした。今までの弱い自分からの脱却を目指したのです。その時の事を、五十歳代になって表現しているのですが、もし、この時に書いていたならば、文章は限りなく、名文になっていたようにも思うのです。残念な思いがします。
 さて、振り返る訳ですが、札幌時代は、まじめに稽古をしたのです。二十一歳からですから、七年の修行をしたのです。指導者にも恵まれて、空手道を満喫させていただきました。自分という刀を、磨く期間でした。稽古をしながら、将来に対する万全の準備をしようとしたのです。妻の千順さんと出会ったのも、札幌時代でした。極真空手という感覚を初めて、自分のモノとして、掴んできたという気持ちです。それでもって、人生を設計することができたのです。空手道に対する確信と推し進めていこうとする推進力を作っていったように思うのです。結果、浮浪する生活から定着する時代への転換という事でした。札幌では、挫折を繰り返すという事よりも、エネルギーを蓄え、パワーを補給するような時代でした。最も過激な年齢でしたから、「女性に気を付ける」「喧嘩をしない」という二つの戒めを掲げて過ごしました。妻の千順さんと出会ってもプラトニックだけの関係に費やし、自らの自己向上に全力を注いだような期間でした。
 ところで、札幌での稽古は激しいものでした。夏の合宿、冬の禊の時は、アシリベツの滝に打たれに行ったり、石狩湾で寒稽古を行ったり、激しい訓練を行ったのです。騎馬立ちで、一時間、相手を肩車して、耐えるのです。空手着と床は汗で水浸しになります。そのような稽古を連日していたので、この稽古で、人に押されて、流れてしまうような、弱い人物からの脱却がなされたように思うのでした。肉体が精神的強さの土台となったと思うのです。このころになると、極真空手は、世間の脚光を浴びるようになってきました。後輩達が、選手を目指して大会に参加するのです。私はというならば、そんなスターを目指すより、道場の稽古で強くなるという事を選択したのでした。
 この期間は、何でも一生懸命でした。それだけに、身体を壊すのも半端ではなかったのです。稽古のやりすぎで、椎間板ヘルニアを患い、半年ほど、痛みに耐えて脂汗を流しながら過ごした期間もありました。動けないので、プールで歩いたり、北大図書館で、書籍に熱中したり、良い事も悪い事も熱心に取り組んだのでした。総じて、北海道の大地は、私を育ててくれました。妻の千順さんとの初めてのデートも北海道一周でした。何もかも、大きな課題に取り組もうとする準備をしっかりできたのが、この大地だったのです。