2016年2月26日(八段語録2701)
第三章振り返って
 第三章旅立ち


 いとも簡単に、極真会館に出会ったのではないのです。柔道をしていましたので、家に無断で、上京してすぐに、東京都文京区の講道館で稽古を始めたのでした。ここでは首都圏の大学柔道部の学生が合同で稽古をしていました。柔道二段でしたので、ここで自信を持って稽古をしたのですが、大学生と当時高校生の、レベルの差は歴然とありました。内容の無さに、打ち砕かれて、実家に敗北感あふれて帰ってきました。勉強もレベルが上がらないし、柔道もへたくそである事を実証されて、いじけまして。精神的にも幼稚そのものでした。真面目に取り組んで、真っ逆さまに蹴落とされて帰ってきたのでした。
 当時は内容の無さに、非常に悩みは深かったと思います。自分の行くべき道は何処なのかと考え抜いていました。世間に出れば、自分という存在が小さく見えたのです。結局両親には何も告げず、家出をしてしまったのです。心配すると思って、ハガキは出しておきました。心の中で一人悩みを抱えながら、友達にも相談することなく、高校を卒業するや否や、自分探しの道に向かって歩み出したのでした。色々な研修会、合宿セミナーに顔を出して、人の話を聞いたのでした。結構、知らない事ばかりなので、勉強になりました。その合間を縫って、講道館に足しげく通ったのです。その後、名古屋に二週間程滞在して、福井、石川、富山、新潟とリックサック一つ持って歩き回りました。北陸を三か月駆け巡りました。香林坊、能登半島と歩き回りました。その時の心境は、世間の何たるかも分からず、また、自分に嫌気をさしていたのです。
 三か月ほど経って、再び講道館に向かいました。また一か月も経たないで挫折でした。今度は、北海道へ行こうと思い、津軽海峡を渡ったのです。寝袋を持って、リュックサック一つで、道内を回っていました。ここでは秋の大自然と出会い、自然のスケールの大きいさ感動していました。故郷が、マッチ箱のように小さくも思えました。もう十一月頃には、寒くなってきましたので、再び、仙台を横目で見ながら、福島県郡山に滞在しました。
放浪の旅が一年を過ぎようとすると、凝り性もなく南に渡るのです。九州、四国、中国地方を回りながら、多くの人に出会いました。山へ行けば林業に携わる人、海に行けば漁師の人、町では、商売を営む人、工場に勤める人、様々な人との出会いをしたのです。今振り返れば、空手道を追求する序章だったのです。
なぜ、武道を追求する前に、全国を行脚したのかと自分に尋ねると、やる事成すこと、未熟であったという事です。武道の道を究めようとすると、常に全力で投入して、肉体の痛みや苦しみを乗り越えて、目的に向かって進むのです。武道の道は執念が必要なのです。私の心は、執念の塊が足らなかったようです。骨が砕けようが相手にぶつかっていく勇気もないかったということです。その意味では、頑固一徹の心が足らなかったのです。
 一度しかない人生を、武道を追求するということは、当時、エイリアンか気が狂った人か、あんな人間を超越するようなことをするのは、余程のバカ者ということになります。まさに、誰もやらない、誰も登らない道を通じて、修業をし、人としての道を究めようとしたのでした。それが、精神的なバックボーンになって、極真空手に出会ったのでした。