2016年2月25日(八段語録2700)
第二章極真空手での教育
第五節 威厳のある極真での教育


一、厳格な指導

 極真会館の道場生は、何に気をつけなければならないのでしょうか。立派な宮城県本部で育った道場生は、一歩踏み出すにも注意しなければならないというのです。一言話すにも注意しなければなりません。つまり、どんな行動をするにも注意すべきです。礼儀作法一つとっても正しく心を尽くしてなければ、誤解を受けます。礼儀の前に人は複雑なのです。この頃の学校教育を眺めると、自由の度を越して、自堕落な自由になり、放縦が飽和状態になっているのです。厳格な極真会館では、道場生を教育できる資料が沢山あります。目上の人に対する場合、道場生同士の場合、師範に対する場合、道場生に対して厳格に教えるのです。

二誠心誠意の指導

 コーナーストーン(礎石)をどのように置くかで、道場生の未来が決定します。自分の人生は主役を演じなければならないのです。未熟な道場生が、初心は千日、誠意を尽くして、直し、また直すという歩みをして、完熟した理想の空手家を目指すのです。この期間にコーナーストーンが確立するのです。教育は一生の間、続けなければならないのです。そして、悪に染まらないように、しっかり教育して、指導者みずから、生きた忠臣にならなければならないのです。そして、中以上を目指すべきです。道場生が稽古をするというのは、このような意味があるのです。道場生に対しては、真心を持って正しく指導を繰り返すのです。

三苦労させる

 極真空手の正しい伝統を引き継がせるために苦労さえ、痛みを感じさせ、涙を流せる人に育てなければならないという事です。世の中の道理でも、苦いものから甘いものが生まれるという事です。苦いものを多く持とうとする人は、甘いものを創造できるという事です。アリとキリギリスのイソップ童話がありますが、若い時には、足を棒にするようにしてアリで生き、老人になったらキリギリスになれというのが極真精神という事です。そのように指導します。

四ときには強制的に

 道場生が、自分が思うままに生きようとすれば、ブレーキが掛かるように教育しています。それは、そのまま放っておけば、滅びるからです。極真空手は、修練に比例して、ブレーキが百パーセントかかるのです。理由は、道場は、結果的に道場生を一時間、拉致して、善人を作り上げるという事を強制するわけです。肉体を酷使して、精神を鍛え上げるのです。極真道場、城内に閉じ込めて、教えなければならない事が多いという事です。

五愛の鞭

 名門の極真会館で指導を受けるという事は、日課の稽古を、厳命によって、こなすという事です。できなければ、脱落するという事だけです。優しい言葉を使ってだけでは教育できません。手元に鞭を置いて教育するようなものです。道場生教育に対しては、天井が吹き飛ぶかのような愛の鞭を持って指導することを心がけています。それだけ、道場生を愛情でもって包もうとするからです。愛の鞭は、道場生にとって、刺激的ですが、その段階が過ぎれば、忘れてしまうものです。

道場の方針にあった道場生に育成

 道場の方針を打ち出せば、指導者は、力が入ります。指導者の持った責任の量に比例して、引っ張っていくことが出来るのです。道場の方針に完全一致で指導します。道場生は、自己主張することなく、話を聞いて実行しなさいというのです。道場生が一歩踏み出す時に、道場の方針の事だけ考えるべきです。名門の道場生は、まず話を聞いて実践することを心が蹴るべきです。