2016年2月21日(八段語録2696)
第二章極真空手での稽古
四稽古は青少年を立派にする


 稽古を続けることは、普通の基準をいつの間にか越えて、全体の前に中心的な位置を占めるということです。稽古の終わりはないのです。上手であろうが、下手であろうが、期間をかけて完成度を高めていくのです。日々稽古を続けて、基本・移動・型・組手と一つ一つ習得して、比較の基準においても、不完全な内容から、完全なものとして表現して、どのような側面でも人より抜きんで行くという事です。稽古では五官を使います。四肢五体はもちろんの事、目で見て、聞いて、触れて、感じるのです。それから心においても、気配りにおいても秀でるようにするのです。それが訓練の過程である稽古という事です。心の面の気を配ることや、考えることも同様です。すべて訓練課程の稽古を経るのです。それ故、瞑想や、あらゆることを考えるというのも、その為の修養方法という事なのです。その為には、自分の課題をしっかり捉えて、立ち向かっていかなければならないのです。稽古中は、観る訓練、聞く訓練、話す訓練、行動している訓練をしているのです。結局、以前より観ることが出来ないものを観、聞くことが出来ない事を聞き、以前より人が話すことが出来ない事を話し、考えられない事を考え、行動できない事を、行動するようにしなければならないのです。結果、前進して、自分の力と能力で消化して越えていく人になるのです。

五稽古は全体との調和と前進

 稽古はどのような思考方式と思考になるのでしょうか。個人で稽古をするのではないのです。意外に感じるかもしれませんが、稽古は指導者を中心に全体で行います。それ故に、道場生は、全体との調和を目指すのです。気合も掛け声も、全体の為の思考になるのです。十人の人が稽古をするならば、全体の為に耐え抜いて、自分の能力以上のものを発揮するようになるのです。このような気持ちで武装したならば、どれほど厳しい稽古でも、耐え抜くことが出来るのです。稽古をすることで教育できるのは、どんな事にも負けない、打ちかますことが出来る最高の剣を与えられ、武器を与えられるのと一緒なのです。だからと言って、振りかざしたりするような、青少年にはしないのです。何故なら、青少年の心に、「お前、今日、悪い事はしなかったのか」と心の面の気配りをすることを、しっかり学ぶようになるのです。
 稽古を続けると、誰にも負けない内容を持つのです。心身ともに優れるようになるのです。もう稽古を一年もすれば、前とは違ってくるのです。つまりワンランクアップという事です。稽古は調和を求めますから、家庭においても孝行息子を目指し、行動において先を行くのです。稽古は実力がつきます。しかし、休んでしまうと変わってしまいます。強くなるには、辛抱強く稽古を継続することなのです。稽古を続けるならば、曲がれども折れることはないのです。風が吹こうが、寒波がこようが、どのような事があっても、変わることなく、前へ行かなければならないという事です。稽古で、セメント・砂利・砂、そして鉄筋を必要とするのです。ビルを作るにおいて、コンクリートを強くしようとするならば、それらを全部混合して強くするのです。これが極真空手の青少年の人造りなのです。