2016年2月18日(八段語録2693)
第三節極真精神は自然と調和
一自然を大切にする心を育てる


極真精神で強調されることは、自然がしみじみと理想の感情を芽生えさせてくれるという意識です。故郷の自然は、何年過ぎようが、老人になったとしても、心を満たしてくれます。一本の草、一輪の花、一本の木の思い出は様々な局面に表れてくれます。自然は、人間にとって、比較することが出来ない程の、希望と理想をもたらせてくれるのです。自然の中でも一つの生命体を観ると、何よりも貴く感じるのです。動物のペットはもちろんの事、その素晴らしい神羅万象を、どこかのスターが着ている豪華な衣装に比較することが出来るかという事です。世の中の有名な人物が持っていた品物とも比較することなどできないという事です。考えてみてください。人間は自分が愛する人の何物でも、大切にします。しかし、身近に触れている自然に対しては、かわいがるという事を知らなすぎるのです。一本の草、一輪の花、一本の木、そして動物や自然に愛情を抱くという心は、磨かなければ、研ぎ澄まされないのです。その心を育てるというのが極真精神という事なのです。

二自然に心を投影する

 道を歩いて、野の花の草を一本みても、色々な感情が沸き上がるという気持ちです。木を抱きしめて泣くこともあるでしょう。花一輪に涙することもあるでしょう。風が吹くのを感じて、恋人に思いをはせたり、岩を抱きしめて、失恋の痛みを感じたり、そんな気持ちを自然は受け止めてくれるという事です。どんな博物館でも、国宝級の宝物として、大切に扱われているような森羅万象はなかなかお目に掛かれないのです。果たして、誰が、先祖代々に伝わる家宝より、ダイヤモンドより貴く思い、掴んで離さないような、気持ちが純粋な人がいるでしょうか。住んでいる所に転がっている自然を大切にすることを忘れてしまっては、生きていく意味も半減してしまうのです。自然に心が投影されていくことを肌で感じるとしたならば、もっと充実した豊かな人生を送れるのではないかという事です。道端に転がっている石も、流れる水も、調和を究めた豊かな自然の園を作っており、心が広がっていくことを大切にするのも極真精神なのです。

三自然を愛することで人を大切にする

 自然を愛するようになると、人を大切にすることができるようになるという事です。逆に自然を愛することが出来ない人が、人を愛することが出来るかという事です。子供達は、おもちゃは何でも好きですが、動くもので直感的に感じるのは、動物です。動き回る生き物や、野生の動物といったものが好きなのです。何故なのかと考えるのですが、人は、自然界やこの地球の動きを見て興味を覚えるのです。そして楽しんで鑑賞するのです。子供達が成長して、知性が発達するにつけ、自然から教育されるようになっているのです。そのような意味では、自然は博物館であり、生活をする上での標本になるという事です。そして、自然を愛する中から、人を愛するという事の何たるかを知るようになるのです。