2016年2月18日(八段語録2692)
第二節極真空手の魅力
四 極真会館の過程


 極真会館は簡単に出来たのではないのです。極真の歴史に現れているのです。ここには、無限の創始者の思いが綴られているのです。そして、発展的な原則を継承し、小さな団体から大きいな団体へと変貌を遂げてきたのです。今までの伝統的な空手道を継承しながら、独自の発想を描きつつ、ここまで来ることができたという事です。創始者の考えのもとに、計画が推し進められてきたという事です。ここで、一つ知らなければならない事は、どのような経過を辿ってきたかという事です。どこでも、みすぼらしい所から出発しました。アパートの一角であり、廃墟に近い建物を間借りして、極真の稽古を続けてきたのでした。その古びた環境の中でも、本物の実践空手家を育成して、全日本大会という舞台に送り込んだのです。人の育成のために、みすぼらしい環境でも、本物を育成しようとする気概があったという事です。このみすぼらしい環境の中で、開拓者としての指導者が、道場生の最前線に立って、創始者の意志を伝えたところに、出発があるという事です。

五道場生の育成

 道場生の育成ですが、ふざけ半分に道場生を指導したのではないのです。趣味として道場を運営したのでもないのです。道場生を育てるという歩みは、到底語りつくすことのできない指導者の苦労があったという事です。心血を注ぎ、指導者の生命の核心を、すべて集中し、創始者から受け継いできた、ありったけの内容を、すべて注いで育てたという事でした。どんな力をもっても離れられない、切っても切ることのできない、師弟関係を築いてきたのです。そのような意味では、指導者にとって、弟子達は骨の中の骨であり、肉の中の肉、骨髄の中の骨髄という事です。弟子達は感じることができないかもしれませんが、極真空手で会得することの、すべてを授けたという気持ちなのです。このような弟子は、指導者が引っ張らなくても、自らの思いで、極真会館を引っ張っていくのです。そのような意味では、次の世代に移ろうとしても、切っても切れない一体不可分の、理想を描きながら推し進める後継者になるという事です。

六道場生育成の結果

 素晴らしい弟子達を作っただけでは、物足らないのも指導者です。弟子達と共に、理想を築くために投入したのです。いくら考えてもそれしか考えられないのです。始まりが、全力投入でしたので、結果も全力投入の姿が返ってくるのです。そこに全力投入して、理想築いてきたという事を取り除いてしまえば、指導者も弟子達も不幸なる事、甚だしいという事になってしまいます。金、金塊、ダイヤモンド等、経済的利益はゴミほどの価値もないのです。あっても、なくてもそれだけの事です。そんなものは「ある」といってもいいし、「ない」といってもかまわない事です。同じことです。それは、指導者と弟子達が、お互いにおいて成立するものなのです。それは一体何かというならば、信頼関係で築き上げる理想の伝統という事です。この信頼関係の理想を標準として定めて歩んだ結果なのです。