2016年2月17日(八段語録2691)
第二節極真空手の魅力
一極真空手を習得したくなる理由


 極真空手は、認知されるようになり、多くの人が関心を持つようになりました。全日本が開催されるようになると、観る者を魅了し、広がりを見せるようになりました。それも、コンサート等とは違って、試合会場だけでなく、多くの人が道場に押し寄せるようになったのです。つまり、多くの若者が細胞で感じ、極真空手の強さに憧れたのです。そして、頭脳だけでなく、心身共に極真空手を渇望したのです。道場生は、熱病にうなされるように、熱中して稽古を始めたのでした。そのようなに感じる度数、量がその人の強さへと導いたのです。つまり、強さの基準になったのでした。そうしているうちに、一人一人が、誰にも負けない程の実力が身に付き始めたのでした。

二極真空手の存在の理由

 あくまでも、自然発生という事ではなく、時代が要求したのでした。確かに、伝統空手とは一線を画して、世間に出現してきたのです。偶然に現せたのではなく、環境的与件があったのです。そして、時が過ぎ、時代の願いの要求に乗るかのように、自他ともに認める事実になったのです。それは、道場生が、自分の体を包んでいる魂が燃え上がるのを、生命の要素として、感じることが出来たという事が、一番大きかったのです。また全日本大会などを通じて、真剣勝負を目の当たりにして、見る者まで、心躍らせたという事です。継続して映画やマスメディアが取り上げるのです。もう道場生も、遊び半分で、軽い気持ちとして、稽古をするというものではないと自覚したのです。稽古で真剣になれるので、自らの心身を通じて収穫できる結実を見出したのです。そして、心に抱きながら精進することが出来ると理解したのです。多くの人が熱狂しました。真剣勝負の中に、生命の接戦を見出し、何かしら、人としての強さのあこがれたのです。まさに、理想が同化していくような心持がしたのです。そして、今もなお、多くの人の共感を得ているのです。

三極真空手での成果

 心身を鍛えるという事で、自らに自信が生まれたのです。自分の身体が芸術作品を制作するように投入したくなるのです。新しい自分を創造していくという事に置き換えられます。全日本大会での優勝者が、強さのモデルにもなりました。技の研究や試合運びなどを研究しながら、強さを求めたのです。それ以上に、人としてのモデルも模索したのは言うまでもありません。修行の時は、お金や金塊やダイヤモンドは全く必要が無かったのです。必要なのは、理想とする強さであり、立派な人格という事でした。極真空手の修行を通じて、自身の肉体が強靭になりました。存在感が強まり、多くの友人も増えました。その結果、日々の生活の中で、あらゆることに対して、刺激が強くなったように思うのです。このような極真空手の出会いによって、充実した人生をエンジョイすることになったのです。目的を持って稽古するのですから、力が沸き上がるのも当然の事なのでした。