2016年2月16日(八段語録2690)
武士道の日常性 武士道精神は見えないエネルギー
三 武士道の日常性


 日本人には、かつて武士が台頭した時代から、現代に至るまで、時代の変遷はあるにせよ、面々と武士道が、受け継がれてきているのです。日本人の精神を貫く理想として、少なからず、時代を形成してきたのです。武士だけが特権意識を持って、孤立するための精神ではなく、日本の国づくりに大きく影響を与えてきたのです。武士道の精神で、日本人は、あらゆる文化を吸収し、国家として成熟してきたのです。武士道精神は、どこにあったかというならば、武人を初めとして、日本人の心に定着してきたのです。すなわち、日本人の、心にある武士道精神が、心の命令を受けて、発展してきた歴史として見ることが出来るという事です。
 そして、現代に生きる日本人は、武士道精神を、あらゆる日常生活の中で感じることが出来るのです。それは、風が空気の動きとして伝わり、人々の息吹の如く感じ、台風が来たとしても、全ての備えを成して、無事に通り過ぎていく、知恵を学んできたが如くなのです。また、太陽を観る時に、この宇宙の源を象徴するという事を知って、その光の明るさと、熱の温かさを太陽に学んできたという事なのです。まさに自然という教科書を、日本人が抱く武士道という精神でもって、生活の教本としたのです。あらゆる自然現象を教材として、学び悟ってきたという事は間違いない事です。この自然現象を、人々が生活するのに、相応しい国土に耕し続けてきたという事です。また国民も調和を果たし、世界に恥ずかしくない日本国を築いてきたという事なのです。それは、単なる日常生活ということではなく、人々を生かす精神が、日常生活に漂っていたという事なのです。

四 武道精神は見えないエネルギー

 道場生からすると、空手着を着たときだけ、武道精神が見えるように思うのですが、見えずに、いつも生きているのです。武道精神は、道場だけでなく、実生活のあらゆる面で触れる事ができるのです。日本人の心の中央に立って、思うように動き回る事が出来るようになっているのです。実に便利なのです。身体を自由に通り抜けていくのです。それだけに、どんなものか、表現することが難しいのですが、それでも都合が良くなっているのです。どのぐらいの武道精神を培ったのかという事は、極真空手の場合、エネルギーで表示されるのです。それは、強さであったり、包容力であったり、柔和謙遜という事もあるのです。人格面に自然ににじみ出てくるのです。それだけに、年輪の如く、年数を重ねていくという修練が必要になってくるのです。そのエネルギーは生涯かけて培っていくのです。そうすることによって、見えないはずの武道精神というエネルギーが人格という表示体として形成されていくという事です。このように武道精神は、表れるわけですから、誰が文句を言うでしょうか。自由自在に体を通り抜けて、誰も障害を感じて、邪魔になるわけでもないのです。そう考えると、目に見えない武道精神は便利であるという事もできるのです。空気だって、身体を自由に出入りしています。それなのに、武道精神を身体に自由に取り入れて、そのエネルギーを吸収するのも素晴らしい事であると思うのです。その入り口が極真空手という事です。