2016年2月12日(八段語録2686)
興亡盛衰に対する前向きな発想

 これから極真会館宮城県本部が発展して、成功を収める一番の道は、どのような道なのかと考えるのです。絶えず、興亡盛衰が、付きまとうのが世間です。当たり前に考えることができるのは、私利私欲をなくして、公道を歩むという事です。そうすることによって、真心を誰もが、投入することができるという事です。誰かの為にとか、一団体の為にという事では力は半減してしまうのです。自分の為という事はもちろんのこと、絶対に成功するという要因は、公道であるという事だと思うのです。これが極真会館宮城県本部が、栄えるための起点という事です。
もし私利私欲におぼれるとするならば、皆滅びて消え去ってしまうという事です。歴史がそれを物語っているのです。興亡盛衰という歴史に逆らって、新しい世界に引き上げようとするならば、生涯公道を貫いて、歩むことができるかという事を自問自答するのです。
 現実を振り返ると、確かにうなぎ上りに、発展した時期もありました。どんなにもがいても、どうにもならない時もありました。困難な時期を経過して、振り返るのですが、その時でも真心を尽くすとするならば、困難な現状に関係なく、気持ちの中では発展しているように思うのです。そして、その厳しさまでも抱擁してしまうのです。もうすでに、晴れ晴れとして、その困難を甘受している、自分を発見するのです。目的を持って、公道を歩むという事が、自分自身に約束したことを果たすという、気持ちが強まるのです。このような発想は、世界中に極真を、伝播していく上で、大切な原動力になっていくのです。
 もちろん、果たすことができないことも、数多くあると思うのです。有難い事に、息子の聖義が継承してくれているのです。親子二代、そして孫の士紀雅と、百年単位で成就できるものが在ると思うのです。そうして、約束を果たすために、完全に実行するという気持ちを抱くのです。聖義に関して、思う事は、私が教育するというよりは、菅野師範を初め、多くのスタッフが心血を注いでくれたのです。息子の教育に、もう二十年近く関与してくれている計算になるのです。その中で、成長して、家庭を築くことができて、指導員として道場に参与しているという事に、私も誇りを持ってしまうのです。まだまだ、息子は、指導者として経験しなければならないことがあるので、日々成長して欲しいということです。まして、中川接骨院にて、見習い修行を三年も重ねているのですが、その事が、あらゆる世間の常識を身に着ける学習の場になるのです。
 私自身もいい加減なもので、ちょっと辛い事があると凹んでしまうのですが、長い期間のスタンスで物事を考えるという事が必要であると痛感するのです。親子そして孫と続けて、伝統を守って発展させることができるとするならば、それが一番幸せという事です。徳川家康も一代で江戸幕府を築けたというのではなく、三代で盤石な基盤を築いたという歴史を教訓にするならば、これからも真心を尽くして天下を治めるというぐらいの気概が必要かもしれないという事です。現実の興亡盛衰を、心の中で消化して、絶えず前進させるという意気込みが必要であるという気持ちになりした。淡々と三代かけて、基盤を作っていくという気持ちが必要であると痛感するのでした。それが前向きな発想という事でしょう。