2016年2月1日(八段語録2675)
理想と信義と愛情の起点

 私自身、理想を抱いている人になっているのか、信義を通す人になっているのか、愛情ある人になっているのかと、彷徨する心に、叱咤激励しているのです。そんな事を考えようが考えまいが、道場の発展の志を立てたならば、道場生を正しく導かなければならないというのが、私のミッションという事です。これが極真の伝統を背負うものとしての、定めであると思っているのです。実に難しい道を、歩んでいるという事だと思っています。
この仙台で極真の伝統を根付かすという事は、選手時代のチャンピオンになることよりも、難しく感じるのです。仙台に帰った当時は、歓迎されることが約束されていたでしょうか。出世の道として、賛美を受けて喜んで、道場を開いたでしょうか。実際考えもしなかった事が様々起こりました。挫折も味わいました。現実に直面した時、誰も信じることができないようにも思えたのです。離反する者たちを前にして、理想も信義も愛情も疑わしくなった心境を味わったのでした。三年に及んで語り続けてきた方針が、一瞬に奪われたという事態も起こりました。
 それでも、一つ一つ積み上げて、いかなければならないという気持ちでした。離反した弟子たちは、二チャンネルサイトで散々悪口を繰り返し書きまくっていました。本来ならば、三年で感化しようと、思ったのにも関わらず、すべてが崩れていく様を眺めざるを得なかったのです。結局離反した弟子に、決して私は、認定されなかったという事でした。そして、離反する弟子達を目の前にして、耐え難き時期、信義の理念が打ち砕かれた時期、愛情を持って、理想を目指すことに、足かせさえ感じたのです。もちろん相手を責めるというよりは、「生命を惜しまず、愛と理想を持って犠牲的に尽くしてくれた」という認定を離反する弟子から受けることが、できなかった自分を、恥ずかしく思った時期でもあったのでした。
 それでも、大多数の弟子の中で、この苦境を見て、「私の後ろに立ってください。この道場を私が引き受けます。」という菅野師範が現れたのです。そして先頭に立って戦うようになったのです。すべての時間と、すべての気持ちを投入して、道場に捧げてくれました。そして、今も先頭に立って、闘っているのです。そして、菅野師範に続々と付いていく道場生が増えてきました。実に仕事をこなし、実績も上げ、あらゆる戦略を惜しみなく発想して、闘い続けてくれました。そして、常に縁の下の力持ちになって、あらゆる努力の栄光を、先に私に、受けてくれんとばかり支え続けているのです。結局、離反する弟子よりも、傍観者であり続けた弟子よりも、私に栄光を与え続けて、今があるということなのです。そのような弟子には、一生に一人会えるかという事です。足らなくても、幼くても、私を支えるという意思力は、いかばかりかという事です。そんな弟子に恵まれたから、今があるという事だと思うのです。
 だからといって、支えてくれた弟子を、決して粗末にはできないのです。彼に、一生責任を持つという気持ちで、私はいるのです。この不動の中心を得て、理想と信義と愛情の起点が築かれたということなのです。このような絆で結ばれた組織は、私が道を間違えない限り、永久に、未来に、明日につながるのではないかと思うのでした。