2012年2月24日(八段語録1602)

ブログの意義


私が極真会館の門をたたいたのは、40年も前のことであります。私が過去たどった運命については、何度か過去書き記しているのです。ブログの記載に当たっては、体験を中心に理論に踏み込んだところもあります。機械的な基本的内容に関しては、多少考慮した程度であったように思うのです。理由は、まず空手道を十分に人々に受け入れられるように示すのでなければ,その内容を理解することはできないと思ったのも事実なのです。私は精神的なことにも眼を閉じないで,しかも正確な精神的立場を記載するという立場を固くまもったのです。もしも技術的なことを充分に取り扱うとすると,その際、繰り返し出されている極真のマニアル本となんら変わらなくなるので、それは、割愛する事にしたのです。それを組み入れるとするならば、の内容は著しく大きいものとなるであろうと思うのです。
時代が進むにつれて、ここに書かれている事の大きさが、いっそう増すことは当然であるとおもうのです。やはりそれは、極真の歴史の一端だからだと思うのです。極真空手の創始者として、大山倍達が、世界中に実践空手の旋風を巻き起こし、今も千二百万人もの道場生がいる訳なのです。これからも、おそらく誰でも知ってくる名前であり,今でも極真会館に入門した者たちが、がおそらく最初に聞く名前であろうとおもうのです。
このブログを手掛けたのは、2003年でした。私が正式に師範になってからという事になります。それ以来実に11年にわたって、大山倍達に影響を受けた弟子として、記載しているわけなのです。何らかの影響を与えないわけはないと思うのです。したがって、希望としては、極真会館の全体に甚大な影響を、およぼすことが出来れば,このブログがどれほど功績を挙げてきたか計り知れないと、思えるようになるのではないかと推測するのです。
大山倍達の直接書いた、指導書は、世にセンセーショナルをもたらしました。もちろん映画という媒体もあります。その内容は、世界を相手にしたことによって、いつも生き生きとしており,年齢を重ねるにつれてその存在がますます光輝を放つにいるのです。このような極真空手が何故にこんなに永い寿命をもつかについて,その理由として次のことを書きたくもなります。一つは内容が多くの教本の場合、実践と異なって我流に偏しているのです。大山倍達は、純粋に客観的に、実践空手の立場を取っているのです。それに反して実践の伴わない多流派の場合、説得力に欠けるのです。そのような意味では、他流派の光を失うのは、世の慣わしであるといえるかもしれないのです。第二にその内容が、世界を股にかけて戦ってきただけに、実に親切に,かゆいところに手がとどくようにできている指導書なのです。だから必ずしもその全巻を通読することを要しないが,極真空手を学ぶ者たちは、いつも座右にそなえて,いつでもひもといてみることが大切になっていると思うのです。
私がこの偉大な人物大山倍達の弟子として、ホームページに公開することは知識・経歴およびすべてにおいて役不足であることは十分承知し、その叱責をあえて覚悟して公開する決心をしたのでした。文章および用語は多少改変していますが、内容は自分の継承した内容なのです。大山倍達が好んで使っていた論語の用語に変更しようと試みたのですが、論語の何たるかを知りもしないで、変更試みるとするならば、不親切になることに気がつきました。ですから、ここに用いられている用語は、あくまでも自分なりに構築した言葉になるのです。用語の整理は平行して行なう予定でいますが、論語をマスターしてからと考えるので、予告なしに変更されることがあることをお許しください。
最後に私は内弟子ではなく、通いの弟子という身分であり、その多くの稽古は、仕事を終わってから道場に通うという事でした。今もおもうのですが、完全な極真に至るには、後何年かかるか想像がつきません。そんな折一昨年、4月、日頃の不摂生により体調を崩し入院しました。それから立ち直ってはいますが、私は、あと何年生きていることができるのか?と考えると不完全ではありますが、思い切ってここに、誰からの反対を受けても公開し続けることにしているのです。