2016年1月30日(八段語録2673)
置賜学院

 保護司として、山形県米沢市の置賜学院に行ってきました。少年の更生の為の面接です。長く話したかったのですが、時間が三十分と決められていて、わずかな内容でしかなかったのですが、環境調整で自宅に伺った時の、両親の様子を語りました。そして、原則的な社会復帰に関しての心構えの話をしてきました。私の一貫した姿勢は、この少年を信じていくという事、そして変わらない姿勢で見守っていくという心構えでした。この少年の社会復帰をさせていくためには、その少年がいくら変わったとしても、最後まで信じていくという姿勢であると思うのです。これまでは、結果的に、犯罪に至って、罪を犯してしまった少年なのです。私としての姿勢がこの少年に対して、問われるという事です。保護司という肩書が問題ではなく、信じることができない少年を信じる事、騙されるかもしれないけれど、それでも信じる、愛する。共に地域で暮らすという気持ちが必要であると思っているのです。上から目線では、到底表面的な付き合いしかならないという思いがありますから、社会復帰に向けて、本格的な取り組みをしていかなければならないとい思いが湧き出るのでした。
 背後関係を聞くと、必ず女性問題から犯罪に至るようでした。青春の門を通る中で、いろいろな心の葛藤があるのでしょう。成熟した社会では、わずかな犯罪も見逃さないようになっているのです。私の青少年時代とは違っているのです。それにしても、これからの未来が、この少年が純粋に生きるという気持ちを持っていくという事にならなければ、つなげていくことができないという事です。今回の面接で、少年の表情は、とてもはつらつとしていました。もう二度と馬鹿な真似はしないという決意に滲んでいました。純粋な少年と思うのです。しかし、これからのサポートの仕方で、どうにでもなるようにも思えるのです。そして、私が保護司として取るべき態度は、月二回の面接だけでなく、日々関心を持って対応してあげるという事だと思うのでした。
 ところで、道場生と比べたならば、欠陥は大いに目立つのです。正直信じられないという気持ちも湧いてきます。それでもその少年を信じてやるし、問題を起こして彷徨する、少年を愛してやるという気持ちでいたいのです。そういう思いで、変わらないでいるならば、必ずその少年は、そういうレベルに見合って、再び帰る道を見出すと思うのです。そうでなければ、只の監視役としての保護司であるならば、権力を盾にして、何ら私に感動はないミッションということです。何度も表現するようですが、少年に対する姿勢は、信じていく、愛していく、共に生きてい行くということなのだと思っているのです。どちらかというと、私自身の信念が試されるように思うのでした。
 それにしても、仙台市内から山形の米沢への道は、遠いと思いました。わずか120キロの距離でしたが、峠を越えていくのと、雪が多いのとで、慎重な運転になっていました。そして、気を使うことが多いのです。慣れない雪国を走るという事は、いつもの感覚ではないので、神経を二倍も三倍も使います。そして、少年に出会って、大きな荷物を背中に積んで、帰ってきたのですから、精神的闘いは、大きく私の前に立ちはばかるようでした。しっかりと、この少年の為に頑張らなければという思いで、置賜学院を後にしてきました。