2016年1月29日(八段語録2670)
結婚して良かった

 結婚して良かった事は、私以上の存在に私自身がなることができたという事なのです。何か本来の自分になったようにも思うし、今までにない能力を、発揮しているようにも思うのです。つまり、結婚して最高の自分自身の個性を発揮しているということです。夫婦喧嘩をしたときに、はっきり分かるのですが、何をやっても上手くいかないというのが現実です。再び、夫婦の関係が修復されると、神仏が下りてくるように、何でも上手くいくのです。夫婦として、いい関係を持っていること自体、理想の中の理想という、本来の私自身が顕現する思いになります。結婚してみて、本当に愛情を注ぐとか、受けるという事を肌で実感するのです。またそのような実感があるので、道場生に対しても愛情を注ぐだけの資格が、与えられていると思うようになっています。私なりに、結婚の目的は何かと問われると、夫婦として気持ちを一致させる、能力を磨くということであると思うのです。そして、その一致した心を表現するということです。朝に家を出るときに、一日歩んできて、家を出たとき以上の気持ちで、妻に接することができるかという事をよく自問します。その連続が結婚生活という事だと思うのです。
 そうして考えると結婚とは、私にとって重要なのです。それは、いつも自分が奮い立って、愛情の道を探していくからです。そこには、生命を創造する道もありました。そして日々愛情の道を高めようとしている、自分に気が付くのです。それで、誰のために結婚したかというならば、確かに妻を幸せにするという事を口走っていましたが、実際は、二人共同の幸せを追い求めているように思うのです。色々と愛情の開拓がありました。妹のように育てたという事もありましたし、妻として愛し、母に使えるような心も開拓しました。そう考えると、今の夫婦としての関係は、絶対に失いたくないという気持ちが強いのです。私にとっての幸福は、一人では満喫できない愛情でもありますから、妻と出合って、互いに愛情を培って、愛することの、幸福感を感じているのかもしれません。かつて、恋愛期間に、私が扁桃腺の手術を受けて、摘出したばかりの時、一緒にそばに、付き添ってくれて、口からの血を拭いて、対応してくれていました。それも寝ずに数日一緒にいてくれたのでした。その時は格好も悪く、身体が不自由であっただけに、一緒にいてくれたことに、自分がかっこよいから付き合ってくれているのではないと、しみじみ思ったものです。
そんな事を体験して、宮殿のドアを開くように結婚しました。そして、生活してみて、愛情の度数が高く上がっていくのも感じました。そのような意味では、私の活動のほとんどの原動力は、この度数の高まりから来ているのであり、世界中を活動していく源泉になっているのです。結婚した当時は、部屋も六畳の寮であったし、段ボール箱を横にして、机を作って、妻の手料理を食べたものでした。正直、おいしい食事ではなかった印象がありますが、楽しい思い出に残っています。二人でファミレスに夜中待ち合わせて、コーヒーを飲んで、あばら家に帰る道中が、幸せいっぱいの思い出として残っているのです。人生において、巨大な愛の力を見出したという事でした。そして、二人の人生を過ごしていく内に、子供達、環境、あらゆるものを所有してきたという実感です。今もなお、妻を愛する努力は怠らないのです。まじめな師範です。