2016年1月28日(八段語録2672)
三人の子供に恵まれて

 私達夫婦の前に、愛する我が子が三人いるという事は、極めてうれしいことです。世界情勢よりも子供の事に関心があるのです。世界情勢を鑑みるときには、何かこれからどうなるのだろうかという、不安があるのですが、愛する子供達の前にすると、安心が先立つのです。孤独ではない理由は、子供達がいるからということです。子供達は私達夫婦が動機となって生まれました。しかし、生んで愛するようになると、かわいいのです。親として子供達に尽くすことが、こんなに良きことかと、今更ながら思うのです。子供達を通じて愛情を培うことができ、さらには、愛情を感じて、悟ることができたということです。これは、人としての発露であるように思えているのです。
 私の子供時代の事を思えば、両親に愛情を持って育てられました。その気持ちから、故郷に再び帰って両親を観るようになると、何かしら両親に借りたすべてを返さなければならないという気持ちになったものです。特に父親がデーサービスに行くときは、いつも送り迎えをして、年を取った親父に、自分が幼い時に大便をし、小便をしたものまで、親父がぬぐってくれた気持ちが、今にして分かるようになっていたのでした。それで、親父を送っていった車の中は、親父に恩返ししなければならないという気持ちに、いつもさせられたのでした。
親父には愛情を持って鞭打たれ、叱られたものです。その時、泣いたりしていたのですが、心の奥底では、うれしいものでした。中学一年のときに、親父が私の為に、当時高価であって、誰も手にしていない、パナソニックのテープレコーダーを引っ提げて、無造作に与えてくれました。柔道の部活を言い訳にして、勉強がそんなに好きでなかった私でしたが,教育番組の、中学生の勉強室という、五教科の三十分を毎日録音して、テープが擦り切れるぐらい、勉強した思い出があるのです。親父が生命を与えてくれただけでなく、息子という、幼い私に、身を削って働き続けてくれた親父でした。そんな親父に、借りを作るまいと努力して、歩んだ日々が懐かしく思うのです。そんな私の姿が、親父の生きがいになっていたという事が、子供達を持った私が、今にして、悟ることになっているのです。
 ところで、私が空手修行に明け暮れて、家出状態にあった時、両親も、私以上に頑張っていたのでした。息子には負けられないという気持ちだったそうです。そして、修行が終わって家に帰ってみれば、私の故郷でやりたい事のすべてを、準備をしてくれていました。大きな家を建ててくれていましたし、活動していく上での軍資金も、準備してくれたことになります。心血を注いで、息子の帰りを待ちわびていた事だと気付いたのも、最近の事です。
 そして今、子供達が頑張っている姿が、私の生きる、励みになっているのです。私が子供達の為に、私の両親以上に、備えることができるだろうかという気持ちになります。できるだけ、立派な両親になろうと思うのです。その為にも、どのような困難なことも乗り越えていきたいという気持ちにもなるのです。子供達の愛情と幸福の基地に、私達夫婦がならなければならないという使命感が湧き出ます。今年は、息子の披露宴を行おうと思って、備えているところですが、どれだけ準備できるだろうかと思案中です。