2016年1月27日(八段語録2669)
妻が共に在ればこそ

 人生の最大の盛り上がりは、妻との出会いでした。この人を失ったら、何も残らないという気持ちを抱いたものです。十年追いかけました。完全にストーカーのように、いつも心を占めていたのです。私とは全く違った性の、女性という事でした。惹かれるという事は、プラスとマイナスの関係という事だったのです。男の私が、女の妻に占領されるようになるとは夢にも思わなかったのです。それが初愛という事でした。もちろん、好きなタイプは、私自身拘りを持っていたことは確かでした。妻がその拘りの人であったとは思えないのですが、初愛はその拘りを越えてしまったのです。私と妻は体からして全く違うのです。当時から、私の半分ぐらいの体重でした。
もちろん身体つきは、男と女ですから凹凸という事です。そして、私の場合、妻に占領されたという事でしかなかったように思うのです。初愛の期間は最長という事です。小説やドラマでは、一年や二年の歳月、思い続けるケースが多いように思うのですが、私の場合、十年ですから長いのです。そして、この十年の間、二股をかけるような不謹慎な事は無かったのです。
 当時の事を思い返すのですが、ちょうどアニメの映画で「アルプスの少女ハイジ」が上映されていて、その映画のハイジに投影して妻を見ていました。片思いでしたが、最も貴い人という気持ちが強かったのです。妻の当時の存在は、素晴らしい、愛を見つけるための人でした。家庭という概念よりは、生涯の伴侶であって欲しいという気持ちが、高まっていたのです。妻を貴く思う世界は、良い世界でした。決して悪くは思わなかったのです。本当に不思議です。清き魂の人と信じ切っていました。愛情の方向が妻であり、終着駅のように思えたのです。それは今でも変わらないから不思議です。心の行き先が妻でしかないという気持ちの生活が十年ですから、私も執念深いという事なのだと思います。そして、全然通じなかった気持ちの反応が、妻から返ってきたのは、七年を過ぎてからという事でした。実に、こ踊りしたものです。私はすでに、三十歳を超えていました。          
 相思相愛という事が始まって、尚三年の間、出会ったり、手紙のやり取りをしたりという事に成りました。私の手紙は、完璧にラブレターという事でした。妻からの手紙は、尊敬しているとかという敬愛の精神で、ラブに至っていなかったようにも思えましたが、それでも心は、天にも昇るような思いの日々を過ごしたのでした。妻が宝物の中の宝物と思えたのも無理なからぬ時期でした。私が妻を愛するという事は、何かしら妻を保護していこうとする気持ちもありました。誰からも守るという気持ちが強かったように思うのです。その時の心境は、私が国際空手道連盟の全日本大会に本格参戦していましたので、実感して覚えているのです。妻の為に最高の闘いをしようとしていました。もちろん、妻に全日本招待したことはないのです。あくまでも妻の為に逞しい男としての形成を願ったという事でした。
そして、全日本を三十四歳で引退して、すぐさまに、妻との結婚に踏み切ったのでした。そこから、新たな人生の出発になったという事は言うまでもないのです。愛情を分かち合う事で、三人の子供にも恵まれました。そして、その愛情は、今でも正しく続いているのです。こんな素晴らしい人生を送れたのも、妻のお陰と思っているのです。