2016年1月26日(八段語録2668)
一に前進二に前進

 今日は、冬なのに、温かさが戻ってきています。温暖な天候なのです。先週の週末はというならば、大寒波到来という事でした。それが一片してしまっているのです。そこで、考えてしまう事が、天候に左右されず、この極真の基盤だけは、間違いなく積み上げてきたという信念を持つ人が必要ということです。それ故に、自分の後継になる人物が、この極真は間違いないという、確固たる信念を持って、継承して貰いたいという気持ちが強いのです。朝夕に変わってしまうような、ヘナチョコナ精神では、この先、発展は望めないという事です。厳しい試練はつきものです。今まで歩んできて、楽な闘いは、道場には無かったのです。少し安定するように思うと、反旗を翻す輩が表れて、滅茶苦茶にして、道場生と共に奪っていった歴史を持っているのです。あるいは、「まだそんなことやっているの」と自分が確立したとして、見下す輩も排出してしまったのです。そう考えると、未来は安心できる闘いができるかというならば、過去にもまして厳しい道が待ち構えているという事だと思うのです。
 ところで、理想に接近することができる歩みが、あるのだろうか、試行錯誤するのですが、私だけの発想で歩むことなど、到底できないというのは折り込み済みです。私という存在が理想と遠い距離があるとするならば、どのようにして打破していくことができるかという事です。私が闘い続けていくことができる事以外に、何の解決策にもならないし、どんな壁も打破できないという事実にぶち当たるのみです。私が本気で戦闘意識を持って攻撃していかなければ、開拓する道を見出すことができないかもしれないという事です。これだけ基盤ができたのだから、守りの体制を整えるようでは、道場生を引っ張っていく原動力にはならないのです。それは、極真精神とは関係がないという事です
 明らかな事は、何度も書くようですが、私自身から決意して事に臨むことを出発するという事です。道場が、思っているように発展しても、その道場に対して、全力投入する私がいなければ、何ら道場とは関係がないという事です。理想の道場とは、私自身が安楽な場所として、お世話になるところではないのです。この道場で多くの道場生が、生まれ変わるような環境でなければ、何の意味もないという事です。道場が道場生をたぶらかすためのトリックであったら大変な事です。ただ遊ばせて、道場生の今までの生活の常習化された状態のままを、放置する道場であったら閉めてしまったほうが、賢明という事です。
 そのような意味では、道場は高貴であるべきです。絶対基準を形成して、よこしまなものが入ってはいけないという事です。そのまま道場生として存在すれば、それで済むという事でもないのです。道場そのものに対しての私の思いは、自己との戦いの場であり、素直に稽古だけをすれば良いという所ではないのです。しいて言うならば、闘いの場を通じて克服していくという信念を持って修練するのが道場ということです。つまり、この道場は、困難と試練を提供して、切磋琢磨することで、個人の成長を促す場という事です。ちょっと、厳しく発想してしまいましたが、今やるべき事の全てに挑戦して、克服したい気持ちで表現してみました。私自身の全身全霊の闘いの幕開けであり、躊躇できない立場になるという事を認識して表現してみました。