2016年1月25日(八段語録2671)
無我夢中

 結構、苦労しながら、模索して歩んできたというのが現実です。それは、故郷という懐かしい土地を愛しているからということです。そして、私自身においては、私一人がしっかりするという事が大前提になっているのです。困難な道を行くにしても無我夢中でした。この苦労が今となっては、人格を磨き、愛情を深めることができる道であると思うのです。そのような生き方をしてきているので、安易な道の誘いには乗らないのです。ありふれていますが、世のため、人の為に一生懸命歩むということです。誰もその歩みを、見ていなくても、覚えていなくても、誰かの、何処かに秘められているという気持ちで頑張ってきたのかもしれないし、もちろん、人知れず歩んできたということも「あり」ということです。結構、今の内容で満足しているかというならば、それは否ということです。どん欲なまでも発展を願うのです。そしてそのレベルは高いのです。独身時代も、今も理想を全面的に追い求めているということです。家族の誰にも苦労させたくないという、思いが強いのです。そうでなければ、自由を満喫することなどあり得ないということです。
 いつも道場スタッフに言うのですが、決してスタッフを雇っているという意識は無いのです。そんな事よりも、一緒に苦労をして築いた土台の上に、立っている同士であり、一緒に大きな恩恵を受けるために、歩んでいるという事を強調するのです。その為に、スタッフは、自分自身を、自分の目的のために活動しているのです。もし不満があるとしたならば、自分自身に対する不満であるべきです。決して他人のせいにしてはならないということです。不満があるならば、自分を攻めるべきであると、主張するのがこの道場の方針なのです。もし、自分自身不満があるとしたならば、ありとあらゆる事に噴出してしまうという、恐ろしい状況になってしまいます。
 ところで、今年の決意の新規は、私の決意よりもはるかに高い理想を持っているのが、スタッフなのです。それで私も駆り出されるのです。昨年は、一月中はそんなに忙しくなかったのですが、今年はそうはいかないのです。目が回る忙しさであり、担ぎ出される日々が多いのです。今までは私が引っ張ってきて、これは無理だという事で、あまり目標を高く上げないほうが良いとスタッフから言われるほどでしたが、昨今は、風向きが違うようで、今年は、私の目標の二倍化の目標を平気で、できると表現してくるのです。そうする目標に対して、私は従順になるだけです。これで、やりがいが増々膨れ上がるというものです。スタッフが頼もしくも見えるのは私の思い過ごしでしょうか。
 そこで、私の思うことは、極真空手が地域社会に武道精神の模範となって、青少年教育に多大なる影響を与え、社会に貢献するという気持ちを決意して、誓うということです。本当にこのような生き方ができると、確信してしまう一月の出来事でした。行事が多くありますが、ハードルを越えていく努力をしていくという気持ちになります。気象異常もさることながら、私の心燃え上がらせてくれる一日でした。日曜日の今日は、大雪の恐れありという事で、あまり外に出歩かないようにしようとしました。路面の状況があまりよくありません。そのような一日を過ごしたという事でした。