2016年1月23日(八段語録2666)
心の趣くところ

 どのような人と付き合うかという事が、大切であると思っています。博士号を持っている人、能力がある人、権力、お金、さまざまな内容を持っている人と付き合うようになるのです。それでも、付き合っていく内に、心が離れていくことは多いのです。何故かと考えるのですが、結局私自身と同じような性質を備えていないと、通じないのです。つまり、相手に第二の私が見えないと、投入できないし、熱心にはなれないということなのかもしれません。そもそも自分自身が投入できない、異質な人とは反応しないということなのかもしれません。同調するとか、共鳴するとか、という事は、自分の中の投影ということなのだと思うのです。
私はかつて、妻の千順さんにたいして、一目ぼれという事で、十年の歳月、つまり、家庭を持つまで、投入し、投入し、また投入してきたのでした。報われたのが十年目ですから、それでも所帯を持ってくれた妻に、感謝ということです。もう夢中で全人格を愛そうとするのです。形状面はもとより、心の世界、次にもう妻の周りを回っているというようにも思うのです。
 それでも、ストーカーのようになって、満足していたかというと、それだけではなく、投入した以上の反応が帰ってくるので、ますます付き纏うということなのです。それで、今でも家庭を持って、我が家で付き纏っていて、粗大ごみのようだとしても、一緒にいる事に幸せを感じるのです。一緒にいても面倒くさいということも無いし、一緒にいればいるほど、元気になるのです。栄養ドリンクよりも、はるかに効果が上がります。一人でいると落ち込むことも多いのですが、二人でいると、めったに落ち込むという事はないのです。これは不思議です。私のプラスと、妻の千順さんのマイナスが合致するのです。それだけに、共通した一対の関係になるという事でしょう。夫婦生活は色々あります。それでも妻の一言で、すべて癒されるという事が、本当によくありました。今でも不思議に妻に対する心は熱いのです。日々の単調な日常生活にはなっていないようです。
 ところで、そう考えると、無限大な広い心に牛耳られているという事でしょう。妻の千順さんの前にというよりは、その雰囲気にのまれているというのだと思うのです。一日外で歩んで家に帰るのが、実に楽しみな日々です。私達夫婦も仲良しなのですが、それ以上に息子夫婦も仲がいいのです。羨ましいほどです。それも、私達夫婦とは違って、息子の嫁さんが、息子に熱を上げているようです。この現象に関しては、羨ましくも思いますが、私が妻に惚れたのですから仕方がないということです。一空手家が、独断的に書いている内容ですが、これは、誰にも当てはまることかもしれません。愛も理想も夢も一人の言葉ではなく、連結された立場の言葉ということなのでしょう。
 妻に対しては、私が求めた関係です。これからも話しかけて喜び、見て喜び、触って喜び、人生かけがえのない人としての関係を継続していきたいという事でしょう。それだけに、私よりは後に他界してもらわなければ困るということです。妻のいない人生など、考えることはできないのです。他界したとすれば、すぐに後追いということにもなりかねないと思ってしまいます。