2016年1月22日(八段語録2665)
こんな生き方です。

 今、積極的に進めているミッションは、極真会館の運営、ボランティア活動の二本柱なのです。人生の主体を武士道として、生命の主体として、そして生活の主体であると同時に理念の主体としての活動は、この二つに主力を置いているのです。ちょっと人生を振り返るのですが、人との絆を中心に歩んできました。もちろん、この主体を維持するために、経済活動は必要になって取り組みました。
経済活動は、決して嫌いではないのです。しかし、そこに大儀がなければ、行わないし、行っていたとしても、その金儲けが、主力になっていくようであると、いつの日か、退いている自分がいるのです。いつも経済は必要ですが、経済で物事は解決することはないという、気持ちが奥底に潜んでいます。
根底から商人ではないのです。それよりも今までも、人の教育に対する意識が強いのです。そして、この武士道に関しては、世界に対して伝道者なのです。この意識は生涯変わらないと思っているのです。
 さて、経済活動に関して、訓練としては魅力がありました。若き日には多くの経済活動に取り組んできたものです。しかし、金銭の魔力とは全く関係がありませんでした。何かこの金で買えるとか、人に頭を下げさせるとか、考えたことも無かったのでした。あくまでも自分自身を高めていくための訓練であり、経済活動は、笑顔で人を動かす修練になりました。経済活動で、実質的に世間の生活感情の分析がきました。また体験もてきました。
経済活動で体験すると自分の持っている能力の価値を、発見することができました。そこにいる自分という存在を、何とも取り換えることができないと、肌で感じることができたのも事実なのです。最前線で経済活動を行うことは、訓練という意味では、自己成長の為に必要でした。しかし人の金を当てにして、事に当たろうとするようになると、もう乞食以下になってしまうように思うのです。私は経済的ポジションに代表取締役にも、何度もなりましたが、会社は存続しても、簡単に身を引くのです。そこには私の理想はないからです。
 ところで、私が感謝すべきことは、人を育てるという能力を与えてもらっているということです。その因縁を極真会館と、ボランティア活動で実践しているのです。無償の愛情ということです。このような心情を携えて、多くの道場生を訪ねたいし、地域の人たちを訪ねていきました。これは言葉だけでなく体験しなければ、その喜びは感じることはできないのです。
そう考えると、私の運命は、多くの人を育てるということなのだと結論を下しているのです。そのような生き方をしている限り、私は疲れることがないということに気付いたのです。
この生き方が、本当に自慢できることであり、人を育てるという理念を通じて生きるということなのです。生涯をかけてきたからには、もう何も失うことはないと思えるのです。自分としては、多くの人に最高の事を約束して、多くの人を導くとする人生ならば、これ以上はないと思っているのです。そこに金銭的な利害関係はないのです。金を持とうとも思わないのです。そして最高の事を約束するために、自らを最高に磨く以外にないという結論に到達する日々なのです。
 もし、神仏が見守ってくれているとするならば、このような生き方を応援して欲しいと心から思うのです。経済は「持ってけ、泥棒」という気持ちで、平等に分け与えようとするのが、自分の本心のような気がします。