2016年1月21日(八段語録2664)
両親を大切にして運勢を引き継ぐ

 私はどんな運勢を引き継いでいるかと考えるのですが、両親の運勢をがっちり受け継いでいるのです。両親の行動が、瓜二つに私の行動に表れているのです。この気持ちは親父かなとか、お袋がこのようにするだろうなという、判断をしてしまうのです。また、息子・娘を見ても、そのように私達の運勢を引き継いでいるように思うのです。このような事を意識して、あらゆる事象に立ち向かうという事になるのです。今日はことごとく、期待が裏切られた日でした。先週来場してくれた二組の、新規対象者が来られなかったばかりか、今日の予約も無視されてしまいました。その時の対応する気持なのですが、両親の発想をそのまま受け継いでいるという事に、気が付くのです。親父は他界しましたが、それでも私のDNAの中で生きていることが良く分かります。決してくよくよしないのです。そして、二倍の努力で巻き返そうとするのです。こんな気持ちになれるのも、両親の賜物であると思ってしまいます。
 さて、そんな気持ちですから、両親を今でも尊敬できるし、両親が身体を張って教えてくれた様々な指導を、胸に抱いているという事です。何を引き継いでいるかというと、間違いなく両親の生き様なのだと、感じさせられます。色々と学校や社会で学んだことも多いのですが、根底においては、両親の影響を受けているのです。ですから黙想して、色々と考える時には、両親の残像が入ってくるのです。もちろん最終的な決定は、自分ですなければならないのですが、決断の影響に色濃く表れていると思うのです。まさに、私にとっては教科書なのです。ですから、両親が尊敬できるという気持ちも有難いことであるし、尊敬することが両親からの恩恵を受けているという事なのです。
 そのような意味では、生きている母を生涯大切にしたいという気持ちです。そして、介護施設という事で、老人ホームへ送るという判断は私には無いのです。確かに社会保障という事で、特別養護老人ホームを活用するという事も必要という事もあるのですが、家族はなるべく私達の手で見守りたいという気持ちになるのです。三世代家族が同居するという政府の方針には賛成なのです。そして、両親の運勢を受け継いで、頼もしい人生行路を歩んでいきたいという気持ちになります。
 私の体調も戻ってきました。ここですぐに無理をする性格という事ですから、完全に回復するまで、無理をせずに万全な体調になるまで、肉体の安全運転で行こうと思っています。それにしても、寒いと気持ちも落ち込みます。今日は大寒という事で、その節季に相応しい日であるのです。もちろん、道場の運営の現象の良し悪しも、あるでしょうが、気持ちに負けないで、前へ進んでいこうと思っています。居間で何気にテレビを見ていると、家族が話しかけてきます。そんなに重要な事でもないのですが、声が掛かります。回答を言うのではなく、ただうなずくだけなのですが、それでも、存在感は在るようです。
 それでも、息子夫婦が、まだ結婚式を挙げていないという事で、アメリカから家族を呼んで、披露宴を行いたいという事を話していました。式場も、自分達で決めてきて、何やら誰を呼ぶかという話をしている様子です。居間は、家族の情報の飛び交う場という事に思えてきました。なるべく寄り添っていきたいという気持ちになります。