2016年1月19日(八段語録2662)
一に貢献二に貢献

 体調も少し回復してきたので、早速新規作戦を遂行することにしました。年初めから、気持ちを、投入に投入を続けるという事です。最大限投入することが、指導者としての役割ですから、その投入を惜しまずに暮らそうとする一日です。基本は道場の為に何ができるかという事を、絶えず模索しているのです。その気持ちが責任者としての心構えという事と思っています。それが、最高の目標であり、責任者としての特権という事になります。
なるべく現場の道場に行く、名目をこしらえては、出向くようにしているのですが、道場を重要視し、全体の為に奉仕し、サポートするという事をするのです。それが責任者としての、在るべき姿であると思うのです。私にどれだけの道場生が、連結されているかという意識は強いのです。そうでなければ、名目だけの責任者ということになってしまいます。極真の道をいまだに求めているのですから、気持ちは、道場生の為であり、その土台に上に、新たな境地を求めていこうとするのです。その為に体を鍛えようとする理由があるのです。
 さて、もし怠れば、東西南北、前後左右、上下高低へ行く道がふさがれてしまいます。極真の道は天地の秘密を知ろうと開拓する道かも知れません。極真空手道を通して、心身が共鳴するような境地に入って、新たな心境を、掴むという事が大事であるという事です。理由は、今の自分に満足しないという事です。肉体を強化し精神を高め、理想的な自己の確立を目指し、環境的要件を整えて、その心境に入る事に出来る道の開拓という事です。ただ運動するスポーツとは違うのです。あくまでも求道者の道であり、一歩一歩の途上で悟りを切り開くわけです。日常生活だけに、生きることのできない私は、絶えず修行の門を叩き続けようとするのです。
 ところで、この極真道場は、一つのレベルを求めようとしているのです。それは、世の中に貢献できる人格を築くという第一義的役割があります。その為に、例え心身ともに強くなろうともその人が社会貢献する道を切り開かなければ何の意味もないのです。その精神的支柱をこの道場では強化しようとしているのです。自分の生活で翻弄される段階から、より次元を高めて社会貢献という道を究めようとするのです。別段特別な事ではないのですが、隣の人の為に役立つという事が、大切な気持ちという事です。確かに私は中心的立場なのですが、意識することは、皆の為に何ができるかという事を模索するという意識なのです。日々の生活は、自己の快楽を求めていこうとしないのです。環境を整えて、あくまでも、全てを全力で投入しようとするところに翻意は在るのです。
 贅沢は、身を滅ぼします。与えられた環境を最大限活用して、奉仕する気持ちが無ければ、誰も付いてきません。そして、私に続く多くの道場生が、社会貢献への道を究めようとしているとするならば、どんなに私自身、果報者であるかもしれません。まだまだ修行が足らないと思ってしまいます。ちょっとしたことで、ぶつかってしまいます。なかなか角は取れませんが、それでも、色々な経験を土台にして、前進あるのみという事でしょうか。喉まで出てくる思いも、堪えながら、私の道は続くという事でしょう。まだ、人生の終焉は来ていないのですから、修行です。