2016年1月18日(八段語録2661)
現実と理想 身体からの考察

 参った!今日は大雪、大変な吹雪です。おりしも、私も疲れ果て、午前中は休んでいましたが、起き上がっても、微熱が続いているので、袋原内科の熊谷先生の元に、急きょ、点滴を打って貰うために出かけました。「鬼の霍乱」という気もしますが、積もり積もった疲れが、一挙に表面化した模様です。微熱でふらふらしながら、吹雪いている道を車でゆっくり走っていきました。限界まで挑戦した結果であるから、「仕方が無いか」という言い訳をしながら、病院へ行くのですが、途中スリップの車が横に放置されていたました。警察の事故処理車両が行き来していました。今年初めての大雪の化粧です。病院に到着しましたが、駐車場も雪で止めるのが大変な状態でした。私の身体も大変、街も雪で大変という事で、大変だらけの一日になりました。いろいろな環境に振り回されるのですが、それでもまずは環境を受け入れて、順応させての日々という事になります。自然を相手にしては、どうしようもない事なので、無駄なエネルギーを使わずに、身を委ねるという事でしょう。若き日々であったならば、「何でこうなの」と文句ばかりを、言っていたような気がしますが、今は従順に順応する姿勢を見せているのですから、大人になったという事でしょう。
さて、身体が辛い時には、活動が鈍ります。身体を酷使することもできず、ただひたすら、回復を待つばかりです。正直、闘わずして、すべてに占領されている気分になります。何か負けた気分にもなります。このような時は、じっとしていて、治るまで待というという事なのかもしれませんが、ちょっとでも良くなるようだと、活動しがちになります。病院で点滴を打って、元気になったと思うと、すぐにトレーニングを始めるのですから、どうしようもありません。その後、夜中にうなされているという具合です。自分の習性に嫌気がさしてもきます。そのような意識で人生過ごしてきたのですから、ここらでゆっくりしたいという思いも出ます。それでも、習性は治らないものです。
ところで、人を見るにしても、微笑みながら、気持ち良い姿をした人を見ると、魅力を感じる自分があります。そうだからこそ、人に気持ちよく映りたいという事なのかもしれません。だから人に会う時には、微笑みながら頭を下げるという習慣も身に着けてしまっています。これが運勢の分かれ目であると思っているのです。それだけに、身体調子が悪かろうが、全面的に良い恰好をする自分があるという事です。私は話をするときでも、笑顔で話そうとします。理由は相手に威圧感を与えないという事です。無表情ですと、体格が大きく、何をしでかすか、分からないように映るかもしれないという、思いも強いのです。意識していることは、小鳥がさえずるように、良い気持ちで話そうとします。傲慢な姿を持ってプンプンというようでは、周りまで悪くしてしまいます。私の無駄なエネルギーを使わずして、多くの人に信頼されようとするコツがここに表現しているのかもしれません。
それでも、どうにもこうにも、そんな発想もできない程、肉体の十字架がきつく、何もしたくないと思う程です。水分を十分にとって、健全な肉体の到来を願うばかりでした。そんな一日でも、一日は一日です。明日は何とか良くなって欲しいと願いを込めて床に入りました。