2016年1月16日(八段語録2659)
鏡開き

 初稽古が宮城県利府のグランデーのアリーナで200名の道場生が集まって、開催しました。どの道場生の顔を見入っても、やる気満々という気迫を感じることができました。この極真空手を伝播する闘いを、今継続中です。今まで師範という位置を築くために、あらゆる努力をしました。学問も不十分なので、社会の分析を大学で学びましたし、研究もしました。社会経験が無い私にとって、ライブスポーツにアルバイトでコーチに入り、三年半に及んで、多くを学びました。ライブスポーツの支配人が、今の極真会館の事務局長の北山先生なのです。師範という位置を確立するということにおいて、多くの人の支えがあるということです。師範としての位置は、道場生を全力でもって愛さなければならないのです。もちろん、技術的な事は当然の事です。
 もちろん、先に一緒に歩んでくれた、今の指導者に対しては、心から敬意を表すのです。海のものとも、山のものとも分からない師範を信頼し続けて、二十数年に及ぶ時期を過ごしてくれたということです。私から何ですが、良く追随してくれたのでした。反旗を翻すこともただ在りがちであったと思うのですが、それでも信頼して極真の道を歩んで来てくれたのでした。特に菅野師範の行くべき道は、自分が極真の道を歩むだけではなく、道場生をまとめて、師範という私に、道場生が帰る道を切り開いてくれたということです。ある意味で鉄条網をかき切って、築いてきたということです。苦労なくして、今の基盤はないということです。そうして、道場生がきれいに継承して、大きな水晶にならなくても、結晶石のような、形を備えてきたということです。
 そのような基盤を作るために、精神的な闘いをしてきたことは言うまでもないのです。そしてそれは今でも続いて、緩めることはないのです。実際の新規会員の獲得には、汗を流し、涙を流しながら、身もだえしながら、今まで歩み続けているのです。一歩も後退しようとは考えてもいないし、前進在るのみだったのです。このような闘いを二十年以上続けているのですが、まだまだという気持ちが強いのです。これは、ついて来てくれた道場生が、道場の礎を支えてくれて、今もなお苦労の最前線にいるということなのです。私自身、一本気な性格ですから、支える人の人格は相当要求されるのです。この二十数年の間、どんなことがあっても倒れずに、極真精神を持って、歩めたのも、優秀な門下生であったからということになるのです。
 そのような事もあって、二百名程の道場生と、そのご両親が来られていました。後援会長の博先生からも挨拶を頂いて、元気よく初稽古に臨んでいました。グランディーのアリーナで行われる初稽古は勇壮なものでした。気迫が声に表れて、汗ばむ道場生も数多くいました。指導者としての先生達も、本気に愛情を持って子供達を指導していました。この初稽古を観るにつけ、頼もしいと思えたのです。これからの極真会館宮城県本部の未来は明るいと感じるのです。
 家に帰ってから、妻の千順さんにも、来年からは出席してくれるように頼みました。なんでも話して、次のステップを踏むことが、夫の役割という事で、初稽古の事を、一部始終、話を止めることはなかったのでした。