2016年1月8日(八段語録2651)
絶えず挑戦

極真会館に入門して、早いもので40年の歳月が流れました。この間、修行に夢中に邁進してきたのでした。この修行での闘いは、心と体の闘いはということに他ならないのでした。学校教育でも家庭でも道徳や倫理ということの指導は受けてきましたが、実際に稽古で闘ったのは極真に入門してからということです。体を鍛えることを重要視しながら、極限まで挑み、いつしか心もかなり重要なウエイトを占めるという事を悟り、心身の調和をどのようにすべきかと悩みながら青春時代を送ったのでした。オーソドックスでしょうが、極真で体を鍛えたのは当然のことです。それでも、鍛えれば鍛えるほど、心の法と体の法の二つの法があって闘うということを、この身を持って実感し続けてきました。
振り返って、心身を鍛え続けて、巨大になったマイナス電気が地上近くにくると、雷と稲光りが激しく轟き光るのです。それは降りてくるからだということです。心も体に降りてくると轟き光るのです。この経験をさせていただいたのが、妻の千順さんとの出会いでした。冷静に分析すると、この出会いが二四歳の時なのですが、それからというもの、心に火が付いて、今の時代で表現するならば、ストーカー一直線ということでした。千順さんは広島出身ですから、当然遠距離交際が始まったのでした。恋愛とは、私の心が相手に降りて行って、雷と稲光が激しく轟くことであるという実感をしたのでした。十年間はプラトニックラブということでした。心身ともに千順さんに降りたというのは、三十四歳の新婚旅行の時ということになりました。
 当然、最初はマイナスの私の片思いだけでして、プラスが自動的に降りてくるような自然現象とはちょっと違っていて、長い年月の間、ストーカーという事のようでした。それでも、心と体を鍛える意味と、意義を見出すようになったということで、充実した選手生活を送ったという事なのです。時間が経過すると、お互いが少しずつ作用するようになって、作用と反作用が起こるということで、その反作用が失恋に繋がることなく、私に対する保護圏に代わって作用してくれたという事です。この千順さんが保護圏として、私に好意を持ってくれたのが、七年を過ぎてからという事ですから、長くかかったという事です。それでも、新婚旅行に出かけるまでに、それから三年の歳月を要したという事は、しっかり愛情を育んだという事のようにも思うのです。そして、自然界と同様に雷と稲光の日々を築き上げることができたという事は感謝そのものという事です。
 機織りでも縦糸と横糸があるように、横糸としては夫婦という生活があり、身体の所在は制限されますが、縦糸としては、地球を飛び出し宇宙を駆け巡るような思いにもさせられるのです。昔の歌ではないのですが、「世界は二人の為」という気持ちも本当の事のように思えたのでした。結構還暦を過ぎてからも、かつて抱いた雷と稲光が轟くような愛情の世界とは趣が違いますが、それでも夫婦の愛情は高まり深まっていくという事に思えるのです。もちろん、単なる生活では難しいという事ですが、夫婦の愛情に関しても、これからもその境地を見出すべく、挑戦し続けていくという事だと思っているのです。この挑戦が、人生の充実の秘訣であり、生きる意味であると思うようになっているのです。