2016年1月6日(八段語録2649)
消防出初式

 自分自身は、何を望むかというならば、極真の心を望むのです。何を言うのかと思うかもしれませんが、真なる心は、変わらないという事であると、思っているのです。まして極真の心ですから、絶対レベルにおいて変わらないという事だということです。どのように評価されようが、変わらないということです。気持ちのど真ん中の核と共に、公認されうる内容の根を持とうとするのです。そうでないレベルの評価は、私の極真の心に及ばないために、その基準からの評価は、流れてしまうと思っているのです。極真の心には、メーターのような、原器があります。それを中心として正しいか、間違っているかという判断をするのです。問題が起きるとしたならば、ここに合わせると、ピッタリ合えば、それは間違った方針を、平気で出してくる輩であっても、はっきり批判をするし、正しい意見を主張するということです。変にへつらってご機嫌を取るような事はあってはならないのが、極真の心だと思っているのです。
 さて、今回の消防出初式で、私は纏持ちの役割です。肉体の鍛錬も怠らず、肉体と精神を鍛え上げてきました。十数年の間「纏持ち」を続けてきました。一昨年は、恵まれて、天皇陛下の前で纏を振るという栄誉にあずかったのでした。長年間、纏を振ってきたので、自信と誇りに満ちているのです。そして自分の型を追求し、挑戦もしてきたのです。出初式の各局でのテレビでの映像にも、それなりの成果が表れていると自負しているのでした。淡々と修練し、培ってきた私の技術もあります。特に行進の時には、腰を低く落として、纏を腕で左右に振るのですが、かなり重い纏を振りながら、市長をはじめ国会議員等の観閲者の前を通るのです。変わることなく追求してきたことは、我ながら尊いことであると思っているのです。途中、心臓はバクバクし、手足は肉体の限界を越えて、精神力だけで行進するのです。それも独りよがりにならずに、一緒のパートナーと一年一年代わる代わる纏を振るように、心がけてきたことでした。
 ところで、今回起きた事件は、ある輩に呼び出されて、「森さん、今回の行進は○○さんに、そして、梯子乗りの演技時間だけ纏を振ってくれ」という命令でした。今まで十数年ルールを決めて、今年は私の行進の年であるという事で、私の気持ちの入れ方は半端ではなかったのです。それも、「森さんの纏の振り方が全体と合わない」という事でした。そして、「江戸前の振り方ではない」という事を言うのです。私も一度江戸前の纏の振り方の講習を受けていましたので、どのような内容であるかは熟知しているのです。しかし、私が繰り出す纏振りは、体重百kgにものを言わせて、雄大なのです。小柄な人が、纏に振り回されるのとは、訳が違うのです。もちろん、どの纏振りより目立ちます。腰の使い方も空手道で鍛えこんで摺足で歩くのです。要するに、私のプライドをその輩は、おとしめたということです。
 もちろん、その輩に反論したのは当然の事です。この時に思うのは、感情をコントロールする極真の心があったと思うのです。一年ごとにローテーションをパートナーと交代していて、今回は私の順番であるという事、実に頑張って纏振りをしているという事、そして、そのような言いがかりは、私のプライドを傷つけたという事、しっかりと極真の心で論破させていただきました。最後に、一言いうならば「ふざけるな」ということです。