2016年1月4日(八段語録2647)
疑問

 私はある団体に所属しています。「この団体とは何ぞや」ということです。地域の安全と安心を守るという使命を帯びていると思っています。しかし、その定義を下すのに、何を中心として下すのだろうか?それが問題に思えてきているのです。この団体は、ある一定の制限を受けるべきであると思っています。その制限線を越えてはならないと思うのです。そこには、公式や単位の基準が設定されるべきであると思っているのです。その公式や単位は、すべての行動を比較できる主体性を持つべきであると思うのです。何故ならばボランティアですし、先輩後輩の関係はあっても、職場ではないからです。
 一昨年前の事です。中心の幹部がガスバーナーで野焼をしていて、その野焼の火が、自分の借家に燃え広がったのでした。消防車十数台出動して消火に当たり消し止めました。とある幹部が、火事を出火させたのですから、責任は重大であると思います。それに対して、責任者が取った行動は、最初に本人が懲戒処分にならないようにと、すぐに辞表を出しなさいという助言でした。ここには本人の今まで蓄積した功績を守るという事だと表現していました。それだけでなく、そこには隠れた意図がありました。責任者としての立場に傷がつかないようにとする事です。
結果、その幹部は、その後一度も幹部会議にも顔を出さずに辞めていきました。そして、その責任者だった人が今回叙勲を受けたのです。そこで正しい組織として、公式に合わせて、運営されていくのでしょうか。力を連結させ、全部均衡に合うように、ボランティアをまとめていく上で、それで良かったのかという提案だけさせて頂きます。
 次に、震災に伴う定数削減を提案したのでした。全員による却下でした。それも責任者の肩を持って、避難の嵐でした。そのことを伏線として、野焼で辞表を出して辞めた代わりの人材として、責任者が、班長を大抜擢して、私の立場の部長を飛び越えて、上位につけました。その人材は、宴会の会場、二次会の会場と飲み会を仕切っていました。最近は、私にとっては目障りな事に、コンパニオンを入れてという宴会です。この件に関しても、公式と単位に合わせても、自他を問わずそこには、首をかしげて考えることのように思います。付け加えて、私が主張した通りにに削減案は、今はなっているということです。
 三番目に、組織の私物化であります。人と金を自由にするのはいかがなものかということです。今回は人に関してですが、上司といっても、ボランティアでの先輩という事だと思うのです。本部は接待が重要だからという事を平気で言うのです。意気込んで本部に来た幹部も、いつの間にか、権威をかざされて、ただの小間使いになっているのです。活動することは、いざというときに、この身を捨てて災害に立ち向かうということです。その為にも、心身を鍛え、市民の為に立ち向かうということです。会議を一度も持たず、相手との会議と全体会議だけというのもいかがなものかということです。
 四番目に、今年件で、不可解な指示が出て、こちらのローテーションを、上から目線で勝手に指示してきたという事でした。もちろん、今回はこちらの主張をしましたので、被害としては、被らなかったのです。気分が悪いながらも、使命は果たせたと思っているのです。今回は、そのような疑問をぶつけてみました。ブログを読まれている方にも不快に思うようでしたら、お許しください。