2016年1月3日(八段語録2646)
道場生も両親も「成長と覚醒」

正月三が日だというのに、親戚の葬儀という事になりました。ちょっと気勢を失うようなことなのですが、それでも、お世話になった叔父さんなので、心を込めて葬儀に、参加させて戴きました。八七歳なので、悔いを残すことはないと思うのですが、それでも、悲しみが押し寄せてくるのです。思い出は去来するものです。そして世話になったという思いで、心は動転してしまいました。そのような事を踏まえて、これからの極真会館宮城県本部の闘いを模索するのでした。「成長と覚醒」という意識を徹底的に、自分の心に根差しながら、どんな指導者を目指すべきかを検討するのでした。そこで、私の心はどのようにしなければならないかという事です。
そこで、指導者としての基本的な心構えは、宇宙の心のように広く深く大きく構えなければならないという事です。そして、この五体に関しても、宇宙を駆け巡るような意識でなければならないという事だと思うのです。この真っただ中に、私が存在しているという気持ちを持とうと思うのです。そのような気持ちでなければ、道場生とその両親を教育できるかという事です。一人の人間としては、腹が煮えくり返る事が多いのです。愛情の理念を実現するための心構えという事になります。基本的に万年夢見て実現してきたことを破綻させるのは、大概怒りや憤りなのです。そのような感情を押さえなければならないのです。その為の心の状態を表現したのでした。怒りや憤りは、天地の大道の軌道から離れてしまいます。そのような結果、過ちを犯すという事に成りかねないのです。
 ところで、道場生や両親は、いまだ武道教育を受けた人は少ないのです。それで武道精神の何たるかを一から、指導しなければならないのです。そして、そのような道場生や両親は、「あなたは武道を指導する身でありながら、原則通り指導しなければならないし、変わってはならないのです。例え、私がいい加減な事をしても、しっかり私達の為に頑張らなければならない。」と平気で言うようになります。そのような事は、この道場では通用しないという事をこの場でもって、宣言するのです。道場生にも両親にも、武道精神は当てはめようと思っているのです。例外はないと思っているのです。その為に、私も指導者も襟を正して取り組みますが、道場で見学する両親に対しても、帰属意識を求めていきます。そして道場生と同じように、道場の精神で指導させて頂こうとするのが、この宮城県本部の方針なのです。
 特に大会で優秀な成績を上げた両親にありがちなのが、指導者と対等になって、「それであったらこの道場で、稽古させるかどうかは考えさせていただきます。」という事です。もちろん、そのような発想は自由ですが、極真会館宮城県本部としての見解は、あくまでも道場に帰属する意識を持っていただく道場生と両親を大切にします。それだけに、心血を注いであらゆる指導をするのです。帰属意識がなければ、自由にしてくださいという方針なのです。道場生の両親に媚びを売るような真似はしないのです。あくまでも一緒になって、「成長と覚醒」を成し遂げるのみなのです。果敢に教育に取り組んで、道場生を一から大切に指導しようとするのが、私達であるからなのです。今までどれだけの人材を育ててきたか計り知れないものがあります。そして、その実績をひっさげて、全力を尽くしているのです。